SSブログ

2017オスロ訪問記 №1 [核無き世界をめざして]

オスロで感じた核なき世界への熱い思い  
         2017.12.7~15 オスロ訪問記 1            

                                    丸木美術館理事長 小寺隆幸・美和 

 ノーベル平和賞授賞式に合わせてオスロを訪れました。核兵器廃絶国際キャンペーンICANの受賞は核なき世界を希求するすべての人々への激励であり、世界の仲間と共に祝いたかったからです。
  ICANの運営委員であるピースボートの川崎哲さん、被団協代表委員の田中照巳さん、ICANの中心メンバーであるヒバクシャ・ストーリーズのキャサリン・サリヴァンさんやロバート・クロンキストさん。彼らは皆2015年に行われた「原爆の図」アメリカ展の実現こ協力してくださった方々です。受賞スピーチをされたサーロー・節子さんとも、2015年 4月の評で会議の際にニューヨークで、翌年8月にはピーター・カズニックさんらの平和ツアーで広島でお会いしました。とりわけニューヨークで高校生に語られた時の感動的な場面について以前も書きました。(「戦争と性」2016年春号)
オスロ1.jpg その方々が世界101か国(地図の赤の国々)の468もの市民体と繋がり、草の根からの反核運動を作りだし、ついに核兵器止条約を制定させたのです。そして上記の皆さんは「原爆の図をその取り組みと結び付けようと働きかけてくださいました。
 核兵器禁止条約制定は1980年代からの被爆者の国際社会への訴えを原点に生まれたものですが、直接の出発点は2010年国際赤字の声明でした。それを受け、ノルウェー、メキシコ、オースリア政府が核兵器の非人道性についての国際会議を3回開催したのです。そして2015年春のNPT再検討会議でもオーストリアなどはNGOと協力して「人道の誓約」を掲げて訴えましたが会議自体は一致点を見いだせず決裂。そこで秋の国連総会に「人道の誓約」を捏起し128か国(日本は含まず)が賛同。こうして2016年から核禁止条約の議論を始めることが決まったのです。
オスロ2.jpg 「原爆の図アメリカ展」はこのようなターニングポイントの年に開催され、国連総会での議論が繰り広げられていたさなかに、オーストリア・メキシコ・日本の国連大使、国連軍縮上級代表、IC赴けメリカのNGOの方々らが「原爆の図」を見に来られたのです。それを組織してくださったのがサリヴァンさんとピースボートUSAでした。私たちの取り組みはささやかですが、核禁止条約の大きなうねりの一端となり世界の市民と繋がったのです。
オスロ3.jpg 10日の授賞式はオスロ市庁舎(写真上)で行われました。その中に入れるのは、ICANのメンバーも30名くらいです。世界から集まったICANの方々、日本から駆け付けた被爆者の方々と共に、私たちは市庁舎の向かいにあるノーベル平和センター(右中)でのパブリックビュウイングに参加しました。その会場の前でアルゼンチンの画家の方とお会いしました。彼女も反核を絵で表現されているそうです。神戸から高校生が折った千羽鶴をもって駆け付けた高校の先生ともお会いしました。
 会場内は日本から駆け付けた高齢の被爆者の方々も含め200名の人であふれ、スクリーンに映し出される実況中継を見ながら大きな拍手が起きました。
オスロ4.jpg

12月10日授賞式とスピーチ
 http//nuclearban>org/nobelでご覧になれます
 式は市庁舎の大広間で1時から行われました。国王や首相、閣僚、議員、各国大使らが列席。米国など核保有国の大使は欠席するという大人げない対応でしたが日本の大使は参列しました。
オスロ6.jpg
 まずノルウェー・ノーベル委員会のライスアンデシェン委員長が授賞理由を述べました。彼女は「核兵器の問題は政府や専門家だけの問題ではない。ICANは一般の人たちを新たに関与させていくことに成功した」、「核なき世界の実現への運動に新たな方向性と活力を与えた」と称えたのです。核兵器が再び使われる可能性が高まっているという危機感のもとでICANという新たな市民運動を支えるメッセージが込められていました。そして事務局長のベアトリス・フィンさんとサーロー・節子さんに証書とメダルが手渡されました。
オスロ7.jpg 続いてアメリカのジョン・フェジェンドさんがボブ・マーリンの「リデンプション・ソング」(救いの歌)を歌いました。その中で次のように歌われたのです。
 「精神的奴隷の状態から自分自身を解放せよ。俺たちの精神を解き放てられるのは他の誰でもなく俺たち自身なのだ。原子力など恐れるな。やつらに時まで止めることはできやしない。」
 オスロ8.jpg彼が招かれたのはグラミー賞受賞歌手というだけではないでしょう。彼はまたアメリカの刑事司法制度の改革を使命とするFree Americaキャンペーンを主宰し、受刑者の刑務所内における罪の償いと社会復帰を促進し、刑期を終えた出所者が希望を持ち更生できるよう支援を訴えています。http://digitalcast.jp/v/25084

 次に記念講演。2児の母である若いフィンさんの真撃でひたむきで力強いスピーチに共感しました。
 「批判する人達は、私達を非理性的で現実に基づかない理想主義者であると言います。しかし私達は唯一の理性的な選択を示しています。」
 オスロ9.jpg「核兵器は私達を自由にするとされてきましたが、実際は私達の自由を否定しています。核兵器による支配は民主主義に対する侮辱です。」
「核兵器禁止条約は暗い時代における一筋の光です。核兵器の終わりか、それとも私達の終わりか。核を持つ国が武装解除できると考えることは非理性的なことではありません。恐怖や破壊よりも生命を信じることは理想主義的なことではありません。それは必要なことなのです。」
 「私達市民は、偽りの傘の下に生きています。核兵器は私達を安全になどしていません。核兵器は私達の土地や水を汚染し、私達の体に毒を与え、私達の生きる権利を人質にとっているのです。私達の運動は、理性を求め、民主主義を求め、恐怖からの自由を求める運動です。私達は未来を守るために活動する468団体の運動員です。道義上の多数派の代表者です。死よりも生を選ぶ数十億人の代表者です。私達は共に核兵器の終わりを見届けます。」
 日本政府は「核の傘」が日本を守ると言います。「傘」というと防衛的なものだと錯覚している人も少なくありませんが、それは「偽りの傘」であり、自分たちが勝つためには相手国の民衆数十万を殺してもよい、広島・長崎を繰り返してもよいという論理です。そのことに真っ先に気づいた被爆者の声がフィンさんら世界の市民を動かしているとき、日本政府がそれに背を向ける、悲しい現実です。
 ICANは名もない草の根の市民の集まりです。わずかなスタッフですが、その一人がフィジーの女性だそうです。彼女は太平洋の核実験により死産や重い病気が引き起こされる現実を身近に感じてきました。広島・長崎の被爆者とともに、世界各地のヒバクシャの方々の核への怒りと悲しみを共有する世界の市民がICANを担い支え、国益のために人間を軽視する国際社会の「常識」に果敢に挑戦し、歴史を変える大きな一歩を踏み出したのです。


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。