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ロワール紀行 №52 [雑木林の四季]

美しいシャンボールの城塞 5

                            スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎  

 この城館ができてから、一世紀以上もたった頃、時のフランス王、ルゥイ十四世はことのほか、このシャトオを愛し、しばしばここに遊ぶのを、楽しみとした。
 彼が営んだ壮大なヴェルサイユ宮は、この宮殿に着想を得たといわれる。彼は、多くの寵妃や美女を伴い、数千騎の親衛隊にエスコオトされた、長さ一哩に及ぶ馬や轎(かご)の行列で、パリからシャンボールに遠出したという。
 彼がここに逗留しているとき、招ぜられたモリエールが、『プゥルソォニヤック氏(豚紳士)』や『恋の医者』、有名な『町人貴族』などのコメディの初演をやったのも、今、私の立っている、この螺旋階段の下に見える大ホォルであった。
 名優であり劇作家でもあったモリエールは、王の滞留中ここに狛リ、二、三日で脚本を書き、夜毎、次々に新しい芝居を上演したという。
 しかし、鋭い性格喜劇で、中世フランス演劇に一期を劃した彼の喜劇は、当時の王侯や貴族の笑の本質とは、かけ離れたものがあったようである。
 喜劇だというのに、ルゥイ十四世がどうしても笑わないので、モリエールは苦心して、演出や脚本をしばしば改めたともいう。
 遂に、モリエールが勝った。
 第二夜の芝居で、客席の氷のような沈黙は破れた。笑いだした王をはじめ貴顔淑女、廷臣たちの笑いは、休憩時間になっても、とめどなく統いたと記録は伝えている。
 ことに、当時の社会諷刺をふんだんに盛った『町人貴族』に笑いこける王侯達は、その笑いの中に、後年、フランス大革命に発展する思想の新芽が演ぜられていることに思い至らなかったとも書かれている。
 一五四〇年に建てられた北東部の巽塔(ウイング)の中に、フランソワ苗の起居した部屋がある。
 この部屋のガラス窓に、彼は、そのダイヤの指輪で傷つけながら、次のような文字を刻んだと伝えられる。
    Souvent femme varie,fol qui S'y fie.
  「女はしばしば心変りする、女を信ずる者は馬鹿者だ」
 或は他の説によればー1、
   Tout femme varie,mal habile qui S'y fie..
  「すべての女は変心する、女を信ずるのは狂気の沙汰だ」
 表現は若干異なるが、いずれにせよ、この有名な二つの諺の意味は同じである。
 この古典的な名句は、伝えられるところによれば、王の寵妃の一人、エタンプ公妃Ducheesse d'Etampesが、王がイタリアから招いて、その才能を愛した彫刻家ペソヴエヌゥト・チエッリィニと、情事を行ったことにたいする、怒りと諦めの言葉である。
 この王の居室のテラスから、一陣のもとに望まれる、開裕なシャンボールの美しい森。
 それに続く一筋の狩道を眺めながら、背信の怒りにうちふるえる手で、書いた言葉であろうか。
 全能(オールマイテイ)の王にしてこの言、ましてわれわれ、庶民においてをや。
 王の居室を出て、最上階の塔の廻廊から眺める、シャンポールの大森林の風光は、実に素晴らしい。
 五月の風、爽かに渡る、緑一色の森。
 眼下に浩浩(こうこう)として、遥かにつづく、ソロォニュの曠野。
 あの森の狩道から、逸るグレイハウンドの群れを従え、鹿や兎など、獲物のかずかずを、馬につけ帰館する王侯や貴婦人の高らかなパレ・フランセが、聞えてくるようである。
 犬の吠える声。心も浮き立つ冗談。高らかな笑声。馬蹄の土を踏む音。狩の戦果を報ずる、フレンチ・ホォルンの音までも。
 身、中世にあるを思わせるたたずまい。かつて、この森、あの森に、貴婦人や王侯が馬を駆り、恋を語らい、生を楽しんだのであろう。

   思い出は狩の角笛
   風のさなかで音(ね)は消える
           ギィヨォム・アポリネールの短詩

 彼方に白雲が湧き、陽が翳(かげ)る。
 変りやすきは女心とは、ヴェルディのオペラの一節である。
  空も、しばしば変心する。濡れぬうちに、先を急ごう。

『ロワール紀行』 経済往来社


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