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対話随想 №41 [核無き世界をめざして]

関千枝子から中山士朗さま

                                   エッセイスト  関 千枝子 

 今、日本中が、いや日本以外の国でも、オバマ米国大統領の広島訪問とスピーチに沸き立っております。オバマさんは「核なき世界」の理想を説きました。自分の国を含め、核を持つ国々に対し、勇気を持てと言いました。しかし…・、しょせん核なき世界は「夢」なのです。「私の生きている間にこの目標は実現できないかもしれません」とオバマさんが言う通りの「夢」なのです。
 それなのに、被爆者たちも感激し、喜んでいます。確かに、現職のアメリカ(核を落とした国)の大統領の広島訪問は初めてのことです。大ニュースです。しかし、それを、喜びすぎているのではないかと、私は少し、醒めているのですが。
 そもそも成り行きから気に食わない。国連では近頃、「核を持たない国々」は、「核兵器廃絶」に大変熱心です。条約を作れという動議は1996年から出していて、昨年など178ケ国がこの条約を作る交渉を始めようという決議に賛同しているのに、核を持つ国々の反対で実現しなかった。そして日本は、二〇年間もこの決議に棄権しているのです。自らがアメリカの核の傘の下で、守られているからと。唯一の戦争による被爆国が、という核を持たない国々の批判に、日本の岸田外相のやったことは,「ヒロシマ、ナガサキに来てください」というお誘いでした。
 もちろん、世界の国々のリーダーに(リーダーでなくても)、ヒロシマ・ナガサキに来てもらうのは悪いことではありません。来てみれば人生観が変わるという方もいます。(私はこんなことは信じませんが。ヒロシマ県選出の代議士である岸田さん自身がアメリカの核の下で”安住“しているのですから)。岸田氏が「核を持つ国と持たない国との懸け橋になる」と言った時など、私は怒りました。「なんで架け橋なの。日本こそ核を持たない国の先頭に立てばいいではないの!」
 でも、そのとき、私は、ヒロシマナガサキ訪問のお誘いを言葉だけのことと思っていたのですが、岸田氏(もちろん安倍首相も)にはもっと深遠な策だったようです。何しろ今年2016年はサミットが日本の当番の年、外相会議も開かれます。その時に、と考えていたのでしょう。
 岸田氏は外相会議を広島で開き、核所有国の外相に原爆慰霊碑に献花させることに成功、アメリカのケリー国務長官などはことに深い感銘を受けたようでした、そしてついに、サミットに来たオバマ氏の広島訪問に成功したのです。
 とにかく、現職アメリカ大統領の広島訪問は大変なことです。それだけでも世論は湧きます。
 オバマ来広が決まったころ、私は朝日新聞の広島総局から、メールでアンケートをいただきました。これは昨年被爆七〇年の時、朝日広島総局がヒバクシャ六〇〇〇人にアンケートを実施したのですが、そのうちメールアドレスのわかっている人一六〇〇人にアンケートを送ってきたものです。この回答を出してからすぐ朝日の記者から連絡があり、会いたいと言ってきました。私のような辛口の回答が少なくて目立ったのでしょう。本当に彼は来てくれ、二時間近くも話しました。
 私の言うことは単純です。オバマさんは、核なき世界の理想を語るかもしれない、しかし、彼の立場上それ以上のことは言えないだろう。でも、私たちヒバクシャの求めることは、核兵器の廃絶である。ヒバクシャは(いえ、本当の平和主義者は)、どこの国民の上にも核爆弾を落としてもらいたくない。しかし、オバマ氏にそれを言わせるのは無理だろう。しかし、「夢」だけでは世界は変わらない。核不拡散も核軍縮も意味はない。「核不拡散」は当時核を持っていた国(米、英、露、仏、中)の所持はそのまま認め、ほかの国が核を持つことは認めないというのですから、ほかの国々の中で不満を持つ国があるのは当然で、インドやパキスタンが核を持ってしまった。その意味では北朝鮮の言うことだって理屈があるのです。核軍縮も同じです。とにかく核保持国といっても九割以上がアメリカとロシアが持っている、七〇〇〇発とか八〇〇〇発とか、そんな数はいらないはずで。核爆弾に賞味期限があるのかどうか知りませんが、アメリカにしても古い核爆弾は処理したいのではないかしら。本心は。
 とにかくオバマさんは就任後すぐ核なき世界の理想を言いましたが、結局何もできなかった。核抑止力という考えの前には手も足も出なかった。だから彼の今の立場では今すぐの核兵器禁止など癒えない。それはわかっているではありませんか。
 オバマの原爆投下を謝らせろという意見もあります。私は今のアメリカの状況の中で、それは無理で、要求するだけ酷だと言いました。おそらく、アメリカが国として、原爆の使用に謝ることがあるとすれば、それは核兵器の完全廃絶ができた時だろうと。
 朝日の記者はよく聞いてくださり、私の違憲を紙面に活かすといってくださいました。
 その後、私のブログを見て(知の木々舎のではなく、個人のブログです)、TBSの報道特集の記者も取材にきてくださいました。
 しかし、それから。何か、日々、メディアがおかしくなっているような気がしました。
 朝日。広島総局の記者から二五日に私の意見を書いた記事を出すという連絡がありましたが、何も出ませんでした。(これはその後、大阪本社版には出たことが分かりました。朝日も毎日もそうですが、原爆のことに関しては、広島支局を持つ大阪本社と東京本社と、かなりの温度差があるのは事実です)。
 そして。オバマさんの広島訪問。彼が考え抜き、各方面の影響を考え、ぎりぎりの線をのスピーチだったことはわかります。それから、彼は非常に気を遣う方ですね。平和資料館には折りづるを自分で折って持参し、被爆者を抱きしめ…・。しかしスピーチは私の思った通り「核なき世界の理想」でした。
 とにかく、最初が「七一年前、死が空から降り」と誰が落としたか言いません。これはアメリカの世論行を使い、謝罪と取られないための言い回しなのでしょうが、私は丸木スマさんの「ピカは人が落とさなきゃ落ちやせン」といった言葉を思い出しました。核の最終的に廃絶の理想を語り、核を持つ国に(自らの国も含め)「核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません」と訴えながら、「私の生きている間にこの目標は実現できないかもしれません」。
 私には抑止論の厚い壁に勝てない彼の悲鳴のように聞こえました。抑止論の中にいる限り、沖縄の基地はなくすことも縮小することもできない。だから彼は沖縄の「女性死体遺棄事件」に遺憾の言葉を言っても「地位協定の見直し」は言えないのです。
 でも、日本の人々は(もちろんヒバクシャも)感激したようです。そして案内した安倍、岸田氏らの手柄顔、私は参院選に向けての大宣伝のようにおもえました。
 いま私は、国連に提出する「核兵器廃絶条約を作れ」」という署名を,集めるため懸命です。核廃絶のためにはこれしかない、オバマさんが道筋など示さなくても、核廃絶にはこの道しかないのです。今度の国連でも、この条約を作る交渉を始めるかどうか、また議論になりましょう。そこでアメリカが「勇気を持たず」また拒否し、日本が追随し棄権したら。これこそ、「お笑い」ですね!
 オバマさんは「自分の国も含めて」、核を持つ国に勇気を、と訴えましたが、唯一の戦争による被爆国でありながら、核の傘の下で安住している日本にも「勇気を持て!」と言ってほしかったですね。

中山士朗から関千枝子さま

                                      作家  中山士朗
  
  <祈り>その一
 
  オバマ米国大統領の広島訪問については、さまざまな思いが交錯しました。
  私は、NHK第一ラジオから質問がありました時、
  「オバマ大統領、安倍首相が互いの政治的遺産を後世に伝えるための演出によるものと思えてなりません。私がもっとも恐れるのは、これにおって安全保障関連法案で「戦争ができる国になりました」と批判されて支持率を下げた安倍政権が、オバマ大統領の広島訪問を実現させたことを強調し、「核なき世界」を訴え、日米同盟の強化がはかられたことを力説するにちがいありません。核軍縮と平和を訴え、安保法案の正当性を主張して参議院選挙で一挙に支持率を回復し、自身の任期中に憲法改正を進めることです」
 と率直に自分の気持ちを述べたのでした・
 最後に、オバマ大統領に望むことについてたずねられたので、
 「謝罪よりも、原爆資料館に足を運び、時間をかけて見学して欲しい」
 と答えたのでした。
 そして、このセレモニーによって、戦争をはじめた日本、非人道的核兵器を使用した米国が、それぞれの誤りが希薄化されるように思えてならない、と伝えたのでした。
 なぜならば、オバマ大統領は就任直後にチェコのプラハで「核兵器のない世界をめざす」と演説し、ノーベル平和賞を受賞したにもかかわらず、その後の七年間はイランとの開発をめぐる合意によって核兵器保有を阻んだに過ぎません。しかし、ロシアとの対立で核軍縮の機運はしぼみ、米国は核やミサイルなどの「近代化」に向けて、今後三〇年間で一兆㌦(約110兆円)をかけての更新する計画を進めていると報道されています。これについて、オバマ政権は、あくまで核戦略の信頼性と安全性を保つ目的であり、増強ではないと強調しております。このことは、北朝鮮の核・ミサイルの開発。ロシア、中国の軍拡という”負の連鎖”を招いていると指摘されているのです。
 したがって、残り少なくなった大統領の任期中に、核軍縮に向けた取り組みの仕上げに広島を選んだとも私には考えられるのでした。
 この広島訪問に至るまでの。日米双方の水面下での交渉を新聞で知りましたが、G7伊勢・志摩サミットの議長国である日本政府の姿勢に、私は違和感を覚えたのです。なぜならば外相会議が広島で開催されたせいもあるのでしょうが、全員が原爆慰霊碑を訪れているのです。私はむしろ伊勢・志摩サミットに出席した主要7か国の首脳全員が原爆慰霊碑の前に立つべきだと思ったのでした。なぜならば、その会議に出席している国は第二次世界大戦で戦った枢軸国(日、独、伊三国同盟)、並びに枢軸国と反ファシスト連合として戦った国(米・英・仏)が出席しているからです。しかも閉幕における首脳宣言の「政治外交」の個所では核兵器のない世界に向けた環境を醸成するコミットメントを確認し、≪広島宣言」を支持するとの文言が残されているのです。
 まさに「核なき世界」「戦争のない世界」を標榜するにふさわしいメンバーだと私は思うからです。それなのに、安倍首相だけが同行するというのは、日米問題の強化を国の内外に示す狙いに他ならないと私は思ったからです。こうした思考が背景にある私の発言は、恐らく取り上げられなかったと思います。
 当日、私はテレビで生中継された両国の首脳の語るのを聞きながら、両者に共通しているのは、きわめて抽象的、文学的な美辞麗句を連ね、自己陶酔しながら語っているとしか私には感じられませんでした。
 オバマ大統領の、
<71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった。閃光と炎の壁は都市を破壊し、人類が自らを破壊するすべてを手に入れたことを実証した。>
 からはじまる演説は、文明と科学について人類学者もしくは社会学者、評論家が語っているような印象しかありませんでした。こうした内容になったのは、日米ならびに韓国に配慮したためであることは理解できますが、
 <各国の選択が、あるいは指導者たちの選択がこの素朴な知恵を反映すれば、広島の教訓は生かされる。>
 と言っているのですから、もっと素朴に、率直に日米それぞれの犯した罪について語り、「核のない世界」「戦争のない世界」についての理想論でなく、強い意志表明を示してもよかったのではないでしょうか。
 安倍首相は、米国の上下両院の合同会議でスピーチをした内容を引用して、
 <熾烈に戦いあった敵は70年の時を経て、心の靭帯を結ぶ友となり、深い信頼と友情によって結ばれる同盟国となりました。そして生まれた日米同盟は世界に希望を生み出す同盟でなければならない>
 また、
 <日米両国の和解、そして信頼と友情の歴史に新たなページを刻むオバマ大統領の決断と勇気に対して心から皆様とともに敬意を表したいと思います。
 先ほど、私と、オバマ大統領は先の大戦において、そして原爆によって犠牲となったすべての人々に対して、哀悼の誠を捧げました。≫
 <核兵器のない世界を実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく努力することが、いまを生きる私たちの責任であります。>
 <日本と米国が力を合わせて世界の人々に希望を生み出す灯火となる。この地に立ち、オバマ大統領とともに、改めて固く決意をしています。そのことが広島、長崎で、原子爆弾の犠牲となったあまたの御霊の思いに応える唯一の道である。私はそう確信しています。>
 私は、この「希望の同盟」という言葉に欺瞞を感じないではいられません。自衛隊の海外派遣を可能にした、軍事同盟の強化に他ならないからです。慰霊碑に眠る人たちの死は、それによって報われるとでもいうのでしょうか。

◆◆お二人の往復書簡(2013年~2014年)が本になりました。◆◆
      関千枝子・中山士朗 『ヒロシマ往復書簡』第Ⅱ集
     西田書店    1600円(税別) 


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