医史跡を巡る旅 №10 [雑木林の四季]
「くすりの日」
保健衛生監視員 小川 優
脚気論争のお話し、まだまだ続くのですが、今回は一旦お休みさせていただいて、コーヒーブレイクです。
今年はもう過ぎてしまいましたが、5月5日は「子どもの日」です。ほかにもこどもちなんで「おもちゃの日」(日本玩具協会・東京玩具人形問屋協同組合制定。いわずもがな。)、「わかめの日」(日本わかめ協会制定、ミネラルやカルシウムを摂って元気に育つように?)などというものもあります。
さらには「くすりの日」。これは全国医薬品小売商業組合連合会が、1987(昭和62)年に制定したものです。ただしこの団体、現在は解散してしまっているので、今でも通用するかどうかは定かではありません。
こちらの由来は、日本書紀に記載のある「西暦611年、推古天皇が5月5日、大勢の家来を引き連れ、大和(奈良県)の兎田野(うだの)にでかけ、薬になる草や木、鹿などの動物を狩り集める「薬猟(くすり狩り)をした」(「医薬全商連だより」から引用)という故事に因んでいるということです。
子どもの日はまた、端午の節句でもあります。もともと中国では、陰暦五月は流行病の発生しやすい時期であり、さらに五の重なる五日は悪日として、香りの強い菖蒲や蓬を門に挿したり、軒につるして、邪を払ったといいます。さらに時代が下ると、実用的になって酒に浸して飲んだり、薬湯に浸かったりして病を防ぐ風習となります。これが日本に伝わり、日本書紀の故事となったのでしょう。
古来、薬として最も身近だったのは薬草です。中国には、その神様がいます。「神農さま」です。神話の時代の皇帝の一人で、自ら百草を嘗め、その効能を確かめたといいます。日本にも伝わり、神農様をまつった社が各地にあります。
そして古代日本では「少彦名命」。大国主命のパートナーで、彼の国造りの旅で活躍します。大国主を祭神とする神社で、併せて祭られることが多いほか、神農様と一緒に、医事、薬事に特化した神社に祭られることがあります。
今回は「くすりの日」にちなみ、そういった各地の神社のなかから三つほど、ご紹介します。
「五條天神社」
「五條天神社社殿」
「五條天神社」~東京都台東区上野公園
祭神 大己貴命(大国主命) 少彦名命
社伝によれば、日本武尊が上野忍が岡を通る際、薬祖神たる二神のご加護をいただいたことを感謝し、この地に両神を祀ったことを縁起とします。上野公園の喧騒を外れ、静かな佇まいの中にあります。
「五條天神社鳥居」
京都にも五條天神社があるそうですから、いずれそちらも訪れてみたいと思います。
「少彦名神社(神農さん)」
「少彦名神社鳥居」
「少彦名神社(神農さん)」~大阪府大阪市中央区道修町
祭神 少彦名命、神農炎帝
戦国時代のおわり、豊臣秀吉が大阪城を築城し、城下町としての大阪も大いに栄えます。全国から様々な物資が集中するようになり、道修町に薬草など、漢方の薬種を商う商売人が多く集まるようになります。徳川時代となって江戸に政権が移った後も、薬種取引の場として栄え、株仲間という特権組合的な組織も作られます。そんな中で安永9年(1780年)、京都の五条天神から少彦名命を勧進し、神農さまとともにお祀りしたのが始まりといわれます。
「少彦名神社社殿」
江戸末期、海外から持ち込まれた数度かのコレラ禍の際、道修町で配った丸薬とお守りが効いたとの逸話が残り、この時のお守りである五葉笹と張子の虎が、縁起物として今に続いています。
「少彦名神社の張子の虎」
「少彦名神社黄金の虎」
「薬祖神祠」
「薬祖神祠」~京都府京都市左京区
祭神 大巳貴命(大国主命)、小彦名命、神農、ヒポクラテス
祭神を見てもわかるとおり、医薬系の神様総動員です。民謡に「一条戻り橋、二条きぐすり屋、三条みすや針、四条芝居…」と歌われたほど、二条通は薬の町として知られ、今も薬問屋が立ち並ぶ一角にあります。大阪の少彦名神社同様、薬の町の守護神として江戸時代に勧進され、明治に入って時勢に乗り西洋医学の祖、ヒポクラテスも祭神に加えたということのようです。
「薬祖神祠の神農さんとヒポクラテスの像」
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