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丸木美術館から見える風景 №43 [核無き世界をめざして]

 光明の種

                   東松山市・原爆の図丸木美術館学芸員  岡村幸宣

「3.11」から5年目の春。
丸木美術館では、企画展「光明の種 POST 3.11」が開かれました。
この展覧会は、絵画、立体、写真など、5人のアーティストが、2011年3月11日、つまり東日本大震災とその後の福島第一原発事故を時代の分水嶺と捉え、世界を見つめる視線の変化を促す内容です。
「3.11後」の混沌とした時代に、企画者の白濱雅也さんは「光明の種」を拾い出そうと試みました。

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展覧会初日。朝の陽ざしの降り注ぐ展示室を見てまわりました。                                      室内の不思議な明るさは、個々の作品の質の高さと同時に、それぞれが自立しつつ調和するという、深い関係性の中から生まれているようにも思いました。

安藤栄作さんは、いわき市で津波によって家を奪われ、原発事故の影響もあって関西に移住した彫刻家です。
今回は、パレスチナのガザ空爆によって命を奪われた子どもたちを思って(それは次第に世界中の傷ついた子どもたち、そして福島の子どもたちへの思いにつながっていったそうです)彫り続けている大量のヒトガタを、横たわる人の姿のように並べ、胸には福島県のかたちをした赤い心臓をはめ込んでいます。

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石塚雅子さんは、丸木俊さんの後輩、女子美術大学出身の油彩画家。
3.11後には闇から光明を見出すような絵画を発表し続け、極楽浄土に住むとされる鳥を主題にした《迦陵頻伽》は、今展を代表するイメージとしてチラシやポスターに使われています。

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企画者であり出品作家でもある白濱雅也さんは、津波の被害を受けた釜石市の出身。
3.11では親戚を亡くされ、その後は無名の作者による絵画や彫刻に、原型を生かしながら手を加えて、新たな生命を吹き込む「リノベーション作品」を発表しています。

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半谷学さんは、3.11以前から、気仙沼市で牡蠣養殖の妨げとなっていた海藻などの廃材を使った作品を制作していました。
今回は、高さ4m近い半透明のスクリーンを二枚天井から吊り、その間を歩く《大きな水の中を歩く》という体験型の作品を展示。自然への畏敬の念を呼び起こします。

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横湯久美さんの写真作品は、アーティストがなぜこうしたテーマの作品を制作するのかという、「POST3.11」展の根源をもっとも考えさせる内容かもしれません。
今回、白濱さんは、「BEFORE3.11」として、前室にそれぞれの作家の震災以前の作品も紹介する場を設けています。 横湯さんはそこに、英国在住時の1998年に発表した彼女のお祖母さんの人生を主題にした作品を展示しました。
戦争に反対したことで苦難の道を歩み、みずから選びとった人生を静かにまっとうした一人の女性。その晩年の佇まいを、国や人種などの先入観を極力削ぎ落とした後姿のポートレートとして撮影し、彼女の個人史と世界史を記した年表を掲示する。《A Woman was born into the World 1914》という作品は、英国でも評価され、ロンドン塔分館王立軍事博物館リーズ現代美術館に所蔵されているそうです。

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そして、今回の「POST3.11」の新作は、撮りためたお祖母さんの写真とともに、1995年に記されたお祖母さんの日記と、彼女が読んでいたであろう新聞記事を「怖さも残酷さもある20世紀の一つの民話のように」構成しています。
とりわけ、雪のお正月に交わしたという、何気なくはじまる静かな会話は、今の時代に丸木美術館での発表ということを踏まえて差し出されたもののように思えて、心に沁みました。
以下は、そのお祖母さんの言葉の、一部の抜粋です。

「あんたの思うように、確かに私には今の美術のことはわからない。でもね、美術をやる人、芸術家の役割は知っているつもりだよ。私にも、芸術家の人たちと似たところが少しはあるからね。
芸術家はワガママであることを最も大切にしている仕事なんだよ。
どんな時でも、自分自身に正直でいないと、呼吸ができなくて死んでしまうくらいの人たちだよ。
誰よりも、自由に敏感なんだ。
だから、国が戦争を始めようとした時、他のどんな人たちよりも先に、この人たちは戦争の気配に気付いて、皆にもわかるように大騒ぎをすることができる。
そのために自分のやり方で生き、見て考えて、声をあげ、表現する練習をし、いつも準備しておくんだ。
現実は厳しく、自分のやり方で生きると、時にとても惨めな目にもあう。
多くの人が別の道に行く中で、己の信じる方向に進むことはそう簡単でない。
まさに命がけだからね。
だから、美術の人たちの仕事はものすごく大変だけれど、ものすごく特別な仕事なんだよ。
それは、大きく激しく大切な務めだよ。
すごい作品を作り残すことは、次の務めだと私はそう思う。」

深い皺が刻まれた、独特の形状をなす指先の写真とともに、これからも繰り返し思い出す言葉になりそうです。

【原爆の図丸木美術館からのお知らせ】

特別公開「原爆の図はふたつあるのか」                                                     3月19日(土)~6月18日(土)
《原爆の図》三部作はふた組あった!従来知られている「本作」とほぼ同時期に描かれながら、やがて異なる数奇な道を歩んだ「再制作版」三部作を「本作」と並べて比較展示する貴重な機会です。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2016/2016hiroshima.html

4月23日(土)午後2時より「1950年代幻灯上映会」開催。
口演=片岡一郎(活動弁士)
プログラム=『ゆるがぬ平和を―8.6原水爆禁止世界大会記録―』、『せんぷりせんじが笑った』、『ピカドン 広島原爆物語』


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