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雑記帳2015-12-1 [代表・玲子の雑記帳]

晩秋の越後に、瞽女を廻る旅にでかけました。

高田瞽女文化を保存・発信する会が企画した瞽女文化体験ツアーに参加しました。高田は以前、『知の木々舎』に「高田だより」を連載して以来のご縁です。
4回目の今年は、瞽女を描いた画家、斎藤真一の作品を展示し、瞽女文化を発信していく拠点として開館したばかりの「瞽女ミュージアム」を訪ねるのも目的の一つでした。

上杉謙信が春日山に城を築いて400年余。城下町高田には、寺町の名の付く通りを歩けば、なんと66もの寺があるのです。
親鸞上人ゆかりの総本山・浄興寺のように大きな伽藍を持つ寺もある一方で、表寺町、裏寺町の通りに面して、小さい寺がたちならんでいます。

最初におとずれたのは、高田瞽女が集まって芸能神の弁財天に唄を奉納する「妙音講」の舞台、天林寺。曹洞宗のお寺です。
上杉謙信が奉納した弁財天を祀るために建てられたという、築400年の天林寺は、建物より本尊が先にあるという珍しい寺です。戦のたびに謙信はこの寺に詣でて勝利を祈願したといわれています。芸能の守護神であると同時に闘いの神でもあった弁財天は、右手に剣をもっています。
毎年5月の妙音講に合わせ、瞽女たちは旅からもどってきて寺に集いました。大事な寺の再建の際に瞽女の奉納した打敷(うちしき)をみせてもらいました。絢爛の見事な織りでした。

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        仏壇の赤い蝋燭は高田出身の童話作家、小川未明にちなんでいます。

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                        天蓋にも弁財天

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                        瞽女の奉納した内敷

お昼は老舗料亭「長養館」で。

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    長養館庭。この季節、雪の重い高田では、どこも雪吊りをして冬をむかえます。

11月にオープンしたばかりの瞽女ミュージアムは、雁木(がんぎ)のある町家(まちや)にありました。

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町家は間口よりも奥行きが長いことでしられます。高田の町家の奥行きはほぼ35メートルありました。
ミュージアムは昭和12年築の「麻屋高野」の1階にあり、大きな吹き抜けと落ち着いた座敷に縁側(土地の言葉で「ドイン」と呼ぶ)と中庭。簡素で力強い空間が楽しめます。
2年前に、コレクター池田敏章さんから100点を越す斎藤真一の絵の寄贈をうけたことがきっかけでミュージアムは誕生しました。斎藤の瞽女の絵を常時展示し、瞽女にまつわる詩集やグッズの販売もできるようになっています。

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                       町屋「麻屋高野」

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              こちらは別の町屋を利用した物産館「高田小町」

宿泊先の鵜の浜温泉では月岡祐紀子さんの瞽女唄の演奏をたのしみました。
民謡を習っていた月岡さんは東京うまれの東京育ちながら、瞽女唄の不思議な魅力にひかれて、最後の高田瞽女、杉本シズエさんの暮らすケアハウスに10年通って教えを受けたそうです。

翌日たずねたのは、浦川原にある、杉坪薬師として知られる日光寺。右手に薬坪を持つ薬師如来が祀られていて、眼病の回復を祈る人々の信仰を集めました。山道をたどって、瞽女たちもここを訪れて祈りました。
山中にあるためか、長い間忘れられ、打ち捨てられていような小さな寺でしたが、近年瞽女文化をみなおす機運に、周辺も少しずつ整備されてきたということです。
ただ、中越地震のあと、再建する際に、瞽女さん達が奉納した多くの絵馬などは処分されて現存していないのは残念だと、会のメンバーは話してくれました。
仁王門のそばには小さな池がありましたが、寺が火災にみまわれたとき、池のタニシが薬師如来を守ったという言い伝えがあるそうです。

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                 訪れる人も少ないため、こけむした石段

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                               薬師堂

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                    周辺は棚田。イチョウも散り敷いて。

旅の最後に、南魚沼にある池田記念美術館で公開中の「斎藤真一 越後瞽女日記の世界」を鑑賞しました。
斎藤真一の絵は額縁の顔の絵も含めて物語があるといわれます。
展覧会のポスターに使われていた絵も、「佐久の旦那」と題が付いていて、実際に佐久地方で起きた事件を4枚の続き絵にしています。
美術館は県立「八色の森公園」のなかにあって、八海山を目の前にできる絶好のロケーション。斎藤真一の世界を鑑賞すると共に、ロビーで、斎藤真一と藤田嗣冶との交流のエピソードや月岡さんの瞽女唄を聞きました。

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                            池田記念美術館

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                       ロビーから見える八海山

盲目の旅芸人と言われ、悲恋や旅の厳しさとともに語られることの多い瞽女たちが、実は、目は見えなくとも自らの足でたち、訪ねていく村村の人達との暖かい交流があったことを忘れてはなりません。
昭和30年代に瞽女は日本の各地からいなくなりますが、それは日本が貧しさから抜けていくのと期を一にしています。消えていく瞽女の文化を、斎藤真一はキャンパスにとどめようとしたのでした。
コレクターの池田さんはその斎藤真一に恋して30年、瞽女の絵を集め続けています。

池田さんと交流のある画商のTさんが大阪から参加したのををはじめ、関東だけでなく全国からの参加者を集めて、スタッフをふくめると総勢30名の賑やかなツアーでした。
『知の木々舎』は、4年前に池田さんが斎藤真一の絵と共に、テレビの「なんでも鑑定団」に登場して以来、斎藤真一を紹介したいとおもいつづけてきました。いつか実現することを願って、池田さんとの再会を約して旅を閉じました。

例年ならみぞれまじりの寒さのはずが、今年は高田も暖かく、初日に少し雨がふったものの、2日目は時折薄日のさすほどの快適な旅でした。「初冬の瞽女文化体験」が「晩秋」に化けて、参加者にも好評でしたが、いつか初冬も体験したいものだと思います。

◆『対話随想』を連載中の関千枝子さんと中山士朗さんの『往復書簡』が本になりました。                         『知の木々舎』にかって連載した、お二人の『ヒロシマ・あれから67年』(途中から68年になりましたが)のうち、30回までをまとめたものです。帯には「ふたりの被爆者が交わす ヒロシマ忘れ残りの記」。前書きにも、これが『知の木々舎』で生まれたいきさつを書いてくださっています。                                                               「ヒロシマ往復書簡 第Ⅰ集 2012ー2013」 西田書店 1500円(税ぬき)

◆暖かい秋に油断しているうちに気がつけばもう、12月。モノレール立川北口駅前のイルミネーションです。

モノレールイルミネーション.jpg

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