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はてしない気圏の夢をはらみ №5 [文化としての「環境日本学」]

いまよう竜宮譚(りゅうぐうたん)

                               詩人・「地下水」同人  星 寛治

 月の山の雲海が切れて
 星座の奥から
 放射冷却がふり注ぐと
 天女は稲の花を笊(ざる)に盛り
 いっせいに撒き始めた

 その「しぐさは
 悠(はる)かに去ったひとにて
  よどみなく
 光の渦をつくり出す

 ヒライ、ハラリ、ヒラリ
 地上に舞うた粉雪は
 銀の匙(さじ)ですくいましょうか

 口にふくめば
 ハとする冷たさが
 体の中をかけめぐり、
 汚染のくにをつきぬけて
 幻視の海に誘うのだ

 琉球弧をめぐる旅の
 ばななぼうとの舳先(へさき)から
  ぼくはひとり
 黒潮のうねりに飛び込んだ。
 その無窮の胎の懐かしさ

 ふと、ぼくは
  海亀の甲羅(こうら)の上にいた、
 浪の花にむせびつつ
 ひっしにしがみつくと
 亀の大きな目がしばたいて
 赤い涙がこぼれてきた
 粒々はたちまちルビーになって
 海原に道明りとつける

 それだけ泳いだら
 ぼくは見知らぬ浜辺いいた
 うす紅や白い珊瑚を踏み
 ひとりで歩き出すと
 蘇鉄(そてつ)の幹に貝殻で
 村の名前がほってある

 潮騒(しおさい)も消えて
 ここは鏡の静けさだ
 きっと入り江にちがいない
 松原の向うに
 真珠のブイが浮いている

 とつぜん、
 水面(みなも)に躍り出た若者は
  簎(やす)に金色の鯛を刺し
  陽やけした腕をかざす
 そこは魚沸く海なのだ

 ぼくは、憑かれたように
 海辺の道を歩いていった
 亜熱帯の森に抱かれ
 沢あいに田んぼがひらけ
 けなげな穂波がゆれていた 山裾の畑では
 老婆が芋を掘っている

 「ああ、とおくからようこそ」
 うたような声がひびいてきた
 ふりむくと、
 琉球藍の衣に風をはらみ
 島の女が手招いている、
 質素な身なりに、ふしぎ
 乙姫(おとひめ)の気品が流れている

 道ばたの小さな豚舎
 島豚が三匹、
 喉をならして寄ってくる
 「これは、わたしの子どもたちョ」
 芋づるを与える貌が
 慈愛の汗にぬれている

 畑は小さな楽園のよう
 数え切れない浅いが育つ
 やっろ目を出したもの、
 おおきな葉を広げたもの、
 蒼い彌を着けたもの、

 塀(へい)に珊瑚の形を残す村は
 ひっそりと静かだ
 「ここがわたしの竜宮ョ」
 生け垣をくぐると、
 精悍な主人は
 スルスルと樹によじ登り
 熟れた果実を放ってくれる、
 南国の芳香にむせて
 ぼくは屋敷の客になる

 「もう数年もたつけど、
  この家まだ完成しないの」
 でも、若い夫婦は誇らしげだ
 壁には幼子の絵、
 土間には甕がぎっしり並ぶ
 「魚がほしけりゃ海に潜るヮ」
 なんともさやかなひびき

 あれから、どれだけ経つか、
 ぼくは、また海亀の背中にいた
 ゴウゴウと季節風が鳴っている
 その泡状の波の花、
 ああ、庄内浜にちがいない
 あの白鳥の河口から遡れば
 ふるさとにたどりつける
 きっと、

 気がつくと、
 ぼくの髪は白く
 額には幾筋もしわが走っていた

『はてしない気圏の夢をはらみ』世織書房
 


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