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五輪書 №57 [心の小径]

他流で大きな太刀を使うこと

                           元武蔵野女子大学学長  大河内昭爾

 他流では大きな太刀を好むものがある。わが兵法では、これを弱い流儀と判断する。
 なぜならば、他の流儀では、どのようにしてでも人に勝つという道理を会得しないで、太刀の長さにたよって、敵に遠いところから勝ちたいと思うために、長い太刀を好む気持ちがあるのである。
 これを世間では、「一寸手まきり(1)」といっているが、兵法を知らぬ者のいうことである。それ故、兵法の道理を知らず、太刀の長さによって遠くから勝利を得ようとするのは、心の弱きのあらわれであり、これを弱者の兵法と見立てるのである。もし敵との距離が近く、互いに組み合うほどのときは、太刀が長いほど打ちにくく、太刀を自由に振りまわすこと
もできず、太刀が荷になって、短い脇差を使う人にも劣るものである。
 長い太刀を好む人には、それなりの言い分はあろうが、それはひとりよがりの理屈である。世の中の実際の道からみれば、道理のないことである。長い太刀を持たず、短い太刀で立ち合うと、必ず負けるものであろうか。
 また、その場所によって、上、下、脇などがつまっている場合、あるいは、脇差しか使えないような場合でも、長い太刀を好む気持ちは、兵法における迷いであり、悪い心である。人によっては力が弱く、長い太刀がむかない者もある。
 昔から、「大は小をかねる」ということわざがあり、自分もわけもなく長い太刀を嫌うわけではない。ただ長い刀にばかり執着する心を嫌うのである。
 大勢の合戦にあてはめれば、長い太刀は大人数である。短い太刀は少人数である。少人数と大人数では合戦はできないものだろうか。少人数で大人数に勝った例は数多くある。わが二天一派においては、そうした片寄った狭い心を嫌うものである。よくよく検討しなければならない。

(1)一寸手まさり 一寸(三一・三センチ)でも手が長ければ、それだけ有利であるということ。

『五輪書』教育社


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