SSブログ

五悔思想の展開 №1 [心の小径]

五悔思想の展開 

                                 前佛教大学学長  福原隆善

    は じ め に

 天台智者大師智顗(五三八-五九七)によって確立された懺悔法の具体的実践としての五悔は、現在においても「法華懺法」の中にとりいれられ、日々これが誦されている。
 近来、五悔の問題に対する関心もかなりよせられていて、その成立等のことについて論究がなされている。五悔の実践は観門を助開して、一心三諦豁爾と開明するものとして重要な位置をもっているのであるが、同じ五悔が浄土教者にも実践されており、これはまた智顗所説のものとは異なった展開をしている。そこで智顗所説の五悔と浄土教者、とくに唐の善導における五悔の実践とを比較し、それぞれがどのように受容され展開されるかについて追究してみることとしたい。

       一 

 五悔がいつごろからいわれ始めたかについてなお明確でないところがあるが、五悔を説く経典も数種類のものがあって、これを四悔五悔系の経典として位置づけたのは大野法道博士の『大乗戒経の研究』である。大乗戒経を十七種に分類し、第十六懺悔経として称礼佛名系、反省精進系とともに三種系の一つとして位置づけられている。このほかにも多くの五悔に関する資料があり、眞言家では「ごかい」と読んで慨悔法の実践となっている。
 天台において五悔は智顗の『摩訶止観』に天台の観法である十乗観法を明かす中の第八知次位において円教の次位について述べるところと、『法華三昧懺儀』の法華三昧の行法を明かすところに詳述される。『法華三昧懺儀』には「五悔」のことばはみられないが、『摩訶止観』に説くところと同じ名称に徒って説示されているので、五悔思想を説くものとしてあげてよいであろう。『摩訶止観』所説の十乗観法において、第八知次位は行者自らの修証の分齊を知る位であり、直ちに観不思議境を観ずることのできない下根の修すべき観法の行なわれる位である。諦観の『天台四教儀』では第七対治助開から下根のための法となっているが、湛然の『止観大意』では第八知次位からとなっている。いずれにしても下根の修すべき観法である。
 智顗は五悔思想をどのような文献によって組織づけたのであろうか。『摩訶止観』や『法華三昧懺儀』にはこの点について、『摩訶止観』には『十住毘婆沙論』を引いてはいるものの、あまり明碓な形では触れられていない。ところがこの点について湛然は『止観輔行』に龍樹の『十住毘婆沙論』のほかに『占察経』を引いて説明している。『摩訶止観』に説かれるものは『十住毘婆沙論』や『古察経』と表現がかなり異なるが、内容について一致するところがある。しかし『法華三昧懺儀』はまた異なった内容表現になっていて『摩訶止観』のものと一律にみることはできないようである。
 智顗の五悔思想をみるものとして灌頂の『国清百録』巻一に説かれる「敬礼法」がある。智顗が「この法は正しく龍樹の毘婆沙に依り、傍らに諸経の意に潤ず。」として作られたものといわれる。五悔の部分については『古察経』に依らず 『十住毘婆沙論』巻五「除業品」に説かれる懺悔・勧請・随喜・廻向の説明の前にある偈文と全く同文であり、説明の散文もそれに従ってなされている。この「敬礼法」が智顗の確実なものであるとすれば、『摩訶止観』所説』の五悔の内容も表現の差こそあれ、よく似た内容になっているので、『十住毘婆沙論』によって五悔思想が組み立てられていることが知られる。ただ龍樹の場合は四悔ということばも見られないものであり、これら四法も憶念・称名・礼敬とともに不退を獲得するための実践として説かれるのである。龍樹には『大智度論』の随喜廻向品に、菩薩の礼佛法として悔過・随喜廻向・勧請の三種法をあげている。随喜廻向を開けば順序は異なるが四種法となる。このようにみてくると、五悔のうちの前四悔は『十住毘婆沙論』を中心に構成されていることが知られる。しかし最後の発願法はどこから導入したのであろうか。                                                  智顗以前に五悔を説く経論とみられるものに『占察経』『菩薩五法懺悔文』等がある。『占察経』は隋代に至って菩提燈が訳出したということで、もし湛然の指摘に従うならば、智顗はいち早くこれを用いたことになる。五悔の表記はないが、五法の実践が整備された形で述べられている。
 この点は『菩薩蔵経』を簡明にしたものとみられている『菩薩五悔文』も同じで、これに五悔のことばが用いられている。さらに注目されるものに『慈悲道場懺法』がある。本書は少なくとも紀元後六〇〇年以前には成立していたとみられているから智顗がこれを参考にする可能性がある。ここにも五悔形式の思想がみられる。ただこれが智顗の側からの影響によるのか、智顗が影響をうけて五悔を構成したかの判断はつきかねる。しかしいずれにしても同じ時代かあるいは早い時代に発願法をとりいれた五悔形式の実践が説かれているのは注目されてよいだろう。さらに南岳慧思の作と伝えられる『大乗止観法門』には供養・礼拝・賛嘆・懺悔・勧請・随喜・廻向・発願の八法が説かれている。疑作説の強いものだけに問題はあるが、ここにも発願法が説かれる。ところが『十住毘婆沙論』に「一切の諸法は願をその本となす。願を離れては則ち成ぜず。この故に願を起す。」とあるのに従えば、智顗は発願以外の四悔の根底にあるという発願法を『十住毘婆沙論』によって位置づけたことになる。
 智顗における五悔思想については、前期時代の著作といわれる『法華三昧懺儀』と後期時代の著作といわれる『摩訶止観』に依らねばならない。しかし内容的には両書には相違かみられ、とくに発願法は、『法華三昧懺儀』に弥陀思想、がみられて『摩訶止観』に至って浄土教に依らない菩薩の誓願と受けとられているというのは何か不自然である。『法華三昧懺儀』には後世の加筆なり改作がなされているのではないかと疑わしめるので、智顗の五悔思想は『摩訶止観』にまず依らねばならない。ただ潅頂の『観心論疏』第三には「天台大師の法華三昧一巻として世に行なわる。」といっているものが『法華三昧懺儀』であるとすれば、改作があったか、弥陀信仰の開係の上で何か別の事柄について考えねばならない。
 『摩訶止観』によれば、書夜六時に五悔の実践を行なうことによって観門を助開し一心三諦を開明することができるといっている。『諸法無諍三昧法門』にも「書夜六時勤懺悔」とあり、書夜六時に懺悔行を実践するのは当時においても一つの形式をもっていたものであろう。五悔の中の第一懺悔は自己内省が表面に出たもので、以下の四悔もやはり懺悔法であり、自己を内省する実践として位置づけられる。それは円教の凡位である五品弟子位の最初の随喜品の実践であり、三観をもって三諦の境を観じ、五悔をもって勤めて精進を加えるという実践であるともいい、次第に昇化せられるものであるという。しかもその実践は「下去の諸位、直ちに等覚に至るまで、総じて五悔を用う。」というものである。階位が上るに従って、五悔に読誦を加えたり、また説法・六度等が加えられる。灌頂の『観心論疏』第五には、智顗を受けながらも、五悔の実践を内観と外助に分けてそれぞれ述べており独自のものが展開されている。『天台国教儀』には「内に三観をもって三諦の境を観し、外に五悔をもって勤めて精進を加う。」という形でいわれてくる。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0