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じゃがいもころんだ №76 [雑木林の四季]

犬の話

                                     エッセイスト  中村一枝

 最近は夕方が長い。六時を廻ったころ、夕日は沈み、それまであたりにたちこめていたすこしムシ熱い空気が遠のく。夕闇にはすこし間のある時間、早い家では夕飯がはじまる。あっちの道、こっちの角から人びとが現れ、小さな挨拶を交わして去っていく。今の時期、昼間は真夏日ということがよくある。最近の気温の上昇で、以前は考えられなかった五月の真夏日。それでも日が落ちると急にひんやりと乾いた風が頬をなでる。犬を連れた一団はかたまり、和やかな笑いが広がる。真夏の夕方とは又違って、乾いてさわやかな初夏の夕方、ほんのいっときの寛ぎだが心和むひとときである。
 我が家のビーグル犬モモは小学校卒業くらいの男の子をむしょうにこわがる。別にいじめられたわけでも、追いかけられたわけでもない。その話を別の犬のお仲間にしたら、そこの家でも同じようにこわがるのだそうだ。原因の一つは声かも知れない。その年齢の男の子の声は甲高くて、よく透る。犬の耳にはもしかして異常なくらいきつく響くのかも知れない。
 もう一つは動作の速さ、乱暴さ、不意の動き、と言ってしまえばそれまでで、そこがあの年齢の男の子たちの持ち味なのだ。犬からすると、突然、どこかからとんでくるボールのような危険な存在に思えるのだ。とにかく、門から通りに出て、道の端に男の子たちの姿を見ただけで頑として動かない。
 あるとき、やはりボール遊びをしていたら少年の中の年かさの一人が、モモをみかけて言った。
 「あの犬、男の子とボールがこわいんだって。かくれろ」
 道で遊んでいた、五、六人の少年たちはいっせいに物陰に隠れたり、家の裏側へ逃げこんだりしてくれた。何だか、とても楽しくあたたかい気分だった。
 「あなたんちの犬、躾がわるいんじゃない?」
 それはよく言われる。行儀がわるい、食べ物にかんしては、特にそうなのだ。そう、ジャンプ力で、台所の流しの向こうにある食べ物まで、とびついてとってしまう。
 ビーグルという種類が生活力旺盛で、活溌なことは前から知っている。モモは我が家のビーグルの三代目なのだ。一代目のモモは新聞広告で買った。もしかしてだまされたのかな?と思っていたが、成長するにつれて、純粋のビーグルであることは別った。性格も穏和で、穏やかな生涯を終えた。
 二代目のアニは息子が、福岡から、「ビーグルだ」という触れ込みで持ってきた。きたときから、歌舞伎の隈取りをしたみたいな顔つきにひょろっと長い手足、何度も
 「これ、ほんとにビーグル?」
と息子に聞いた。あるとき、、息子が打ち明けたのは、「実はね、お母さんはビーグルなんだけどお父さん、何だかわからないんだ」
 それで大笑いになった。アニは雑種ゆえの良い性質を全部持っていた。健康で、穏やかで、優しく人なつこい。そして賢い。アニが死んで七年、今でも犬の友だちはアニのことをなつかしがってくれる。
 モモは先代より出自もいい。血統つきである。毛並みも上等。かなり小柄で整った顔立ち、申し分ないのに、強情で甘ったれ、気ままで食いしんぼう。飼い主は一日中、綱を持って演歌もどきに家の中で怒鳴っている。
 「お前は私の最後の犬さ、お前は私の最後の犬さ…」
                                                  


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