じゃがいもころんだ №75 [文芸美術の森]
戦争のきらいな大人
エッセイスト 中村一枝
10年越しの韓ドラファンである。日本における韓ドラブームも10年たったそうだから、私も足並み揃えてきたということか、そのせいでそれまでほとんで知らなかった韓国の歴史や文化にも興味と愛情がもてるようになった。それが、ここ二、三年、竹島をめぐる問題から始まって日本と韓国の間がぎくしゃくしてきた。マスコミ誌上にもあからさまな嫌韓論が堂々と幅をきかせたり、以前のようなのどかなムードが変わってきている。私のように、すこしずつ、すこしずつ韓国に近づき愛情を育ててきた身にはさびしい話である。
「ハナ」という題の韓国映画をみた。「ハナ」とは人の名前ではなく数字の一。このドラマでは統一の一である。南と北に分断されている韓国と北朝鮮が統一チームを組んで世界卓球選手権にのぞむという。架空の話と思っていたが、実際に、一九九一年、日本の千葉で行われた競技大会での実話を基にしたドラマである。
同じ言葉、同じ顔を持つ一つの民族が体制の違いから、それぞれそっぽを向いて生きざるを得ない現実がある。それがあるとき、スポーツを通じて人間臭い交流を深めていく。疑い、さぐりあい、とつおいつしながらすこしずつ近づいていく。統一チームとしての勝利という目標を前にして、すこしずつおたがいの気持ちが溶け合っていく様子がよくわかる。様々の困難をのりこえ二つの国が手を取り合って勝利を勝ちとる。きわめて単純な物語なのだが、見ている内にドラマの現実にどんどん引き込まれていった。今もなお、対立している二つの国、一つの民族の現実がやるせないほどに迫ってくる。見終わったあとで急に、あの寺山修司の秀歌が浮かんできた。
マッチ擦る つかの間の海に霧流れ
身捨つるほどの 祖国はありや
戦争中の子供であったから、祖国だの、愛国だのの言葉はイヤというほど聞かされてきたせいか、大人になってからはその手の言葉に反発しながら過ごしてきた。でもこのドラマを見ている内に素直に、祖国統一というとなりの国の国民の願いがすんなりと胸の中にとけ込んでいった。日本人なのに何故、よその国の人間の感情に同調するの?と聞く人がいるかも知れない。私は胸を張って答えられる。日本人としての誇りを持っているからこそ、同じ人間同士の悲しみも苦しみも感じることができるのだと。そして、自画自賛で付け加えるならば日本人のやさしさ、暖かさ、こまやかさは群を抜いている。ちょっと内気ではにかみやだけど、日本料理の盛り付けにはその特性が十二分に活かされている。これからの日本はこれでいかなくちゃ。
ああ、それなのに今朝の新聞を開いて、一寸がっかりした。
新聞の見出しだから、軽々には言えないにしても、毎日のように、あの手、この手で、憲法を骨抜きにしようとしている人がいることは確かである。それも、世の中でいうえらい人たちの中に。
戦争をしなかったこの六十年余、たしかに危ない橋を渡ってきた。幸運にも恵まれていたのかも知れない。アメリカの強力な助けもあった。この先はそうはいくまいというのもわかる。でも、世界の歴史の中でも戦争をしてこなかったことの意味と、実績を、憲法をあれこれいじくる前にみんなで、じっくり考えてみてもいいのでは? 戦争中の子供の大半はきっとそう考える。
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