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気ままにギャラリートーク~平櫛田中 №16 [文芸美術の森]

小平を訪ねた芸術家たち

                         小平市平櫛田中彫刻美術館 
                                        学芸員 藤井 明

 平櫛田中が、小平市の、武蔵野の面影が残る玉川上水のほとりに邸宅を構えたのは昭和44年のことで、その邸宅は田中が数え年98歳だったことにちなんで「九十八叟院(きゅうじゅうはちそういん)」と名付けられました。翌45年に住み慣れた東京都台東区から家族とともにこの地に移り、54年に107歳で亡くなるまでのおよそ10年間を過ごしました。今回は、この田中邸を訪問した芸術家を紹介します。
 まず、バーナード・リーチ(1887~1979)と濱田庄司(はまだ・しょうじ 1894~1978)です。二人はともに日常用いる器などに「用の美」を見出し、それを世に広めようとする「民芸運動」に関係した陶芸家で、昭和47年にそろって訪問しました。写真はその時のものです。リーチは、田中の暮らしぶりを見て、日本の芸術家が晩年豊かな暮らしをしていることを喜んだと伝えられています。
日本画家の奥村土牛(おくむら・とぎゅう 1889~1990)の来訪も昭和47年のことです。この時、田中は自作の《気楽坊》(第4話で紹介した作品)を土牛に贈り、その返礼として土牛からその《気楽坊》を描いた絵を贈られています。土牛は昭和37年に田中とともに文化勲章を受章しました。
片岡球子(かたおか・たまこ 1905~2008)は、エネルギッシュな作風で知られる日本画家です。私が美術館に勤め始めた頃、まだ存命中だった彼女から、田中の命日や美術館の記念日によく花が届けられました。律儀な方だったようです。
その他、訪問者は、前田青邨(日本画家)、松田権六(漆工家)、荒川豊蔵(陶芸家)、小山冨士夫(同)、藤原雄(同)、大石隆子(書家)、殿村藍田(同)、鈴木翠軒(同)、岩田藤七(ガラス工芸家)、大林素乃(人形作家)と、各界を代表する作家の名前を挙げることができます。
このように様々なジャンルの芸術家たちが小平市の田中邸を訪ねましたが、意外にも彫刻家は少なく、日本美術院で同僚だった大内青圃や、田中の門弟の田中太郎、矢崎虎夫、村上炳人くらいです。田中が小平に移り住んだ当時、同時代の彫刻家の多くは鬼籍に入っていました。存命中の彫刻家となると田中よりずっと下の世代の人たちだったので、気おくれしてしまい、とても訪ねる気持ちになれなかったのかしれません。
田中が小平に移り住んでから催された百寿の記念祝賀会で、田中は来場者に対して「制作で忙しいので、あまり訪ねて来ないでほしい」と語り、会場を沸かせました。けれども自分と同じ彫刻家があまり訪ねて来なかったことは、流石にちょっぴり寂しく思われたのではないでしょうか。

小平を訪ねた芸術家たち.jpg
左から田中、濱田。右から2番目がリーチ 

                                                                           ※ 小平市平櫛田中彫刻美術館では、5月28日(火)から8月24日(日)まで、小平市の田中邸を訪問した作家の企画展を開催します。詳細は、当館のHPをご覧ください。


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