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西洋百人一絵 №15 [文芸美術の森]

ラファエロ「大公の聖母」

                           美術ジャーナリスト、美術史学会会員  斎藤陽一

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 ラファエロ(1483~1520)は、レオナルド・ダ・ヴィンチとともに、古典主義絵画を確立した画家として、近代まで美術学校での美術教育のお手本とされてきた。それは、何よりも、ラファエロが晩年にヴァチカンの法王の居室に描いた一連の壁画の成果によるものである。キリスト教神学と古代古典文化を融合させたモチーフにより、半円形の大画面に大勢の登場人物たちを配して描いたそれらのフレスコ壁画は、いずれも、見事に均衡と調和のとれたものであり、《合唱的効果》と言われる画家の特性を充分に発揮したものであった。
 しかしここでは、ラファエロの初期の聖母像を取り上げてみたい。聖母像もまた、ラファエロの特性を良く伝えるものであり、わずか37年という短い生涯の中で、30点近くの聖母像を残している。
 その最も早い時期の作品が「大公の聖母」(1506年頃)である。少年時代にペルジーノのもとで修業したラファエロは、21歳の時にフィレンツェに出てきて、レオナルドやミケランジェロと出会ってルネサンスの熱い風に触れるのだが、その数年後に描いたのが、この聖母像である。
 「大公の聖母」と呼ばれているのは、18世紀末にトスカーナ大公だったフェルディナンド3世がこの絵を熱愛し、旅に出るときも馬車に載せて運んだという逸話による。現在、この作品は、かつてのメディチ家の宮殿だったピッティ宮(フィレンツェ)で、私たちも対面することができる。
 聖母の顔は、きれいな卵形で、その下の体つきは意外にしっかりとした量感を秘めている。この顔形と身体つきがラファエロの好みなのである。
 聖母は、その眼差しをかすかに下に向けて、物思いにふけっているかのようであるが、静かな悲しみの中にいるようにも見える。わが子の未来の受難をすでに予感しているのかも知れない。しかし、その表情とたたずまいは、あくまでも優美で気品がある。
 一方、聖母に抱かれる幼子イエスの眼差しは母よりも強く、神の子としての自分が救わなければならない人間たちをじっと見据えている。かと言って、中世のように、幼児と言えども、イエスを偉大な天上の主権者として表現するということはなく、丸々と太った可愛らしい幼児として描いている。
 私たちが現在見るこの絵の背景は、黒塗りになっているが、近年の調査では、もともとラファエロは背景に風景や建物を描いていたことがわかった。しかし、この黒い背景も悪くはなく、この聖母子像の魅力を減じることはない。「優美(グラツィア)」を絵画化すればこうなる、という、美しくも調和のとれた聖母像なのである。

(図像)ラフアエロ「大公の聖母」(1506年。フィレンツェ、ピッティ宮殿)


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