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修誠の人・小山敬三 №42 [文芸美術の森]

YO子像 

                        小諸市立小山敬三美術館館長  小林秀夫

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                            1948年 F8 油彩画 51才 

画伯の息女 蓉子さんを描いた作品。第10回一水会展出品作品。同じ年に蓉子さんをモデルにして「ブルーズ・ド・ブルガリィ」「スエターローズ」も描いている。
先日、収蔵作品のデジタルアーカイブ化の作業をしている中で、この作品の画面の上部と右端の色が他の背景の部分と色がちょっと違うことに気づいた。詳しくみていくと、上部には釘の穴のあとも見える。描きあげた絵をキャンバスの木枠からはずして、大きめの板に貼ったためにできた余白部分に後から色をつけたようだ。フランスから持ち帰った特別の額にこの絵はおさめられている。
この年、第一回長野県美術展の審査員をつとめている。

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【小山敬三画伯略歴】小山敬三画伯肖像コピー2.jpg
1897(明治30年)長野県小諸町(現在の小諸市)で醸造業(現在「信州味噌―山吹味噌―」)を営む23世小山久左衛門正友の三男として生まれた。上田中学校卒業後慶応大学予科に入学したものの、芸術家への思い絶ちがたく、反対する父を説得して川端学校に入学した。その後、父と親交があった島崎藤村の勧めもあって、8年間フランスに留学した。
フランスでは、アカデミー・コラロッシュでシャルルゲランに師事して、絵画の基礎を固めた。留学中サロン・ドートンヌに入選、のちには会員・審査員にもなった。また、フランス人マリー ルイズと結婚。
帰国後は茅ヶ崎にアトリエを建て、そこで多くの名作を描いた。1936年二科会を退会し安井曾太郎らと一水会を創立した。その後日展などで作品を発表。日展評議員、理事を歴任した。1960年には日本芸術院会員、1970年文化功労者。1971年小諸市名誉市民となった。1975年には小山敬三美術館を建設し、作品と共に小諸市に寄贈。同年、文化勲章受章、1976年には茅ヶ崎市名誉市民となった。1987年89歳で死去。
 代表作は「浅間山」「白鷺城」の連作。グランドプリンスホテル新高輪には画伯が85歳の時に描いた「紅浅間」(縦4メートル横12メートル)がある。

【小山敬三美術館】〒384-0804 長野県小諸市丁221

小山敬三美術館.jpg
設計は村野藤吾、この美術館の設計で毎日芸術賞を受けている。

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