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修誠の人・小山敬三 №36 [文芸美術の森]

「男の顔」(グレコの模写)

                        小諸市立小山敬三美術館館長  小林秀夫

30男の顔.jpg

 

画伯はスペイン旅行で、グレコの模写をしている。画伯は、自伝の中で次のように記している。
「グレコの部屋は、静かな雰囲気で、その作品を原寸大で模写することが許されていた。ゆっくりと時間をかけて二枚の模写を仕上げた。グレコの作品をよく見ると、髭、眉、髪の毛、衣服の襞、すべての一筆、一筆が日本画のように生かされた筆で運ばれ、素晴らしかった。
 グレコには、トレドでさらに感激をつよくした。サントトーメの「オルガツ公の埋葬図」は、一画面をニつに折り、半分上を天上の世界、半分下を現世の世界で描写している。
 現世の世界では、グレコ独特のデフォルメではなく、きびしい写実的な表現で、会葬者の貴族の表情など実に見事に描かれている。
 天上の世界では、グレコの精神的表現描写をはっきりさせて、例のデフォルマションで雄弁に表現されている。グレコは、決して病的な乱視の画家ではなく、意識的にデフォルメしたことが明確にわかった。また、「トレドの全景」をみると、構図が実に自由に創造されている。」
通常、小山敬三美術館記念館では二枚のグレコの模写とボッティチェリーの模写を展示している。

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【小山敬三画伯略歴】小山敬三画伯肖像コピー2.jpg
1897(明治30年)長野県小諸町(現在の小諸市)で醸造業(現在「信州味噌―山吹味噌―」)を営む23世小山久左衛門正友の三男として生まれた。上田中学校卒業後慶応大学予科に入学したものの、芸術家への思い絶ちがたく、反対する父を説得して川端学校に入学した。その後、父と親交があった島崎藤村の勧めもあって、8年間フランスに留学した。
フランスでは、アカデミー・コラロッシュでシャルルゲランに師事して、絵画の基礎を固めた。留学中サロン・ドートンヌに入選、のちには会員・審査員にもなった。また、フランス人マリー ルイズと結婚。
帰国後は茅ヶ崎にアトリエを建て、そこで多くの名作を描いた。1936年二科会を退会し安井曾太郎らと一水会を創立した。その後日展などで作品を発表。日展評議員、理事を歴任した。1960年には日本芸術院会員、1970年文化功労者。1971年小諸市名誉市民となった。1975年には小山敬三美術館を建設し、作品と共に小諸市に寄贈。同年、文化勲章受章、1976年には茅ヶ崎市名誉市民となった。1987年89歳で死去。
 代表作は「浅間山」「白鷺城」の連作。グランドプリンスホテル新高輪には画伯が85歳の時に描いた「紅浅間」(縦4メートル横12メートル)がある。

【小山敬三美術館】

小山敬三美術館.jpg
 
設計は村野藤吾、この美術館の設計で毎日芸術賞を受けている。

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