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じゃがいもころんだ №67 [文芸美術の森]

四つのヴァリエーション

                                              エッセイスト  中村一枝

 冷気と寒気が合併して、毎日、氷に閉じこめられたような寒さが続いている。それでも毎朝の犬の散歩は欠かせない。さすがにひところの犬銀座の趣は失せたが、ご主人様の健康にとっても寒中の散歩はひとつの励みでもある。
 高校時代、同級生四人で同人雑誌を気取って手書きの雑誌を出したことがある。原稿用紙をとじて四人でまわし読みをするとい初歩的なものだった。パソコンはおろか、ワープロもなかった時代の話である。題名は、「四つのヴァリエーション」。一体何号まで続いたのか覚えていない。四人はそれぞれ、大学、短大、と進学し、結婚もした。子供が居るのは私だけで、他の三人は子供のいないまま晩年に至っている。その内の一人A子は中学の時からトップクラスの優等生。くりっとしたまつ毛の長い目はいつもいたずらっぽく輝いていた。私はA子のニセSの手紙にだまされた口である。A子は女子大でもトップクラスの座を争っていたらしい。B子は大学卒業後、留学生試験に合格し、そのままフランスに居ついてしまった。C子は才能は有り余るほどなのに体が弱く、両親の面倒をみながら年を重ねた。それぞれ懸命に生き抜いておばあさんになった。
 A子が美容院の帰り、転倒してそのまま病院に入院したと聞いても、まさかそのままずっと動けなくなるなど想像していなかった。その詳しい病状に就いてはだれもよく知らないというのが実情である。何年か前にご主人が亡くなって彼女は小さなマンションに移り住み、友だちといつも愉快に過ごしていると言う、誘いは何度ももらったが、私は行かずじまいであった。A子が寝たきりになったころ、体の弱かったC子は、足の具合が悪くなり、外出もままならなくなった。郊外のケア付きマンションにご主人と引っ越した。私一人はなんとか健康を保っているものの足の具合は前ほど軽やかでなく、それなりに老いてきたという実感はある。
 B子もフランスに老母を呼び寄せ、ジャーナリストとしても知られた存在になっていった。ただ、かの地でも難病と言われる手のしびれる神経の病にかかり、ただ今治療中である。
 そんなある日、久しぶりにA子のお見舞いに行くことになった。他の三人は誰も行かれる状況にないので、私が他の同級生たちと彼女が入所している老人施設に行った。
 一年近いごぶさたの後でもA子は見かけはあまり変わらない。寝たきりは相変わらずらしく、最初は一寸驚いたベッド脇の導尿カテーテルにも、こちらが馴れた感じである。意外に血色も良く、手も柔らかい。しゃべる言葉も昔どうりの歯切れの良さ、一同、ちょっと安心した雰囲気が漂った。多少の記憶の違い、判断力のずれはこの年になれば誰にでもあるもので、順調に年をとっているしるしでもある。
 あっという間に一時間余が過ぎた。寝たきりでも人との応対は疲れるものかも知れなかった。
 「又、くるからね」「又、きてね」
 手をふりながら病室を出た。おそらく、誰も言葉にしなかったが、この先、たしかにやってくる終着点、お金のある、なしに関わらず、それぞれの生活の善し悪しにかかわらず、必ずやってくる。そのときのことが、頭をよぎったに違いない。
 その昔、四つのヴァリエーションを作ったころ、夢にも考えなかった老いという現実が、目の前にどっぷりとひろがっているのである。はからずもその日は一月十三日・成人の日、晴れ着姿の若い子たちのまぶしい顔が輝いていた。


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