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西洋百人一絵 №7 [文芸美術の森]

フィリッポ・リッピ「聖母子」

                    美術ジャーナリスト・美術史学会会員  斎藤陽一

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 前回紹介したフラ・アンジェリコが「天使のごとき画僧」ならば、今回取り上げるフィリッポ・リッピ(1406~69年)は、スキャンダラスな破戒僧である。彼は、フラ・アンジェリコと同じ時期にフィレンツェで活躍したが、その生き方は対照的であった。
 フィリッポ・リッピは、15歳頃にカルミネ修道院に入り、画僧として絵を描いていたが、自由奔放な性格で、詐欺事件を起こすなど、スキャンダルが絶えなかった。
  ある時、壁画を描くために女子修道院に派遣された際に、尼僧ルクレチアを見そめ、彼女を誘惑して子どもを産ませてしまった。普通ならば、重罪となるところを、その才能を深く愛していたメディチ家の当主コジモ・デ・メディチは、リッピを還俗させて、ルクレチアと結婚させたという。いかにもルネサンスらしいエピソードである。
  フィレンツェのピッティ宮殿は、もとはメディチ家の邸宅だが、現在、その一部は、パラティーナ美術館となり、メディチ家の美術コレクションが展示されている。
  その中には、フィリッポ・リッピが描いた「聖母子」があり、今回はそれを取り上げたい。
  絵の中央にいるのが聖母マリアと幼子イエスであるが、その顔つきは、どことなく現世風に感じられるのではないだろうか。それもそのはずで、実は、聖母のモデルは画家の妻ルクレチアであり、イエスのモデルは二人の間に生まれた子どもだと言われる。だとすれば、厳格な中世社会では考えられない、実に恐れ多い、大胆なことであるが、これがリッピなのであり、また、ルネサンスなのである。
  彼が描くのは、俗世界のマリアであり、日常生活をしている若き母親である。背景に目をやれば、室内を人々が行き交い、にぎやかであるが、ここには、マリア誕生の場面が描かれている。つまり、一枚の絵の中に、生まれたてのマリアと、母親になったマリアが描かれるという「異時同図」表現なのだが、この二つの場面は、活気あるひとつの空間の中に、違和感なくおさまっている。このような現世肯定的な世俗趣味こそ、画家フィリッポ・リッピの持ち味である。
  とは言え、聖母の顔つきや髪の毛、衣装に見られるリッピの描線は比類なく精妙であり、この繊細な描写が、作品が卑俗に陥るのを防いでいるのである。なかなか魅力的で気品のある若妻ではないだろうか。
  このフィリッポ・リッピに師事し、やがて、繊細にして優美な画風でルネサンスの春を謳うことになるのが、ボッティチェリである。
                                                                               
  (図像)フィリッポ・リッピ「聖母子」(1452年頃。パラティーノ美術館)


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