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じゃがいもころんだ №65 [文芸美術の森]

ロマンテイック街道

                                        エッセイスト  中村一枝

 彼女とは双方の子供たちが幼稚園に入ったときからの付き合い、その子供たちが四十六歳だからずい分長い。当時からくるりとした大きな目の愛くるしい表情は年を経ても余り変わらない。家も近いので何かにつけ頼りにしている友だちである。その彼女から弾んだ声で電話があった。 「ほんとに久しぶりに銀座の美容院に行ったの」
 彼女は一年以上前股関節の手術をした。最近はリハビリの成果もあってかなり前より歩けるよういになったと喜んでいたのだ。美容院を出てから丁度お昼どきなので近くのデパートの中華料理店に入った。店員にすすめられて椅子に坐ろうと何気なくとなりりの席をみたとたん、坐っている人と目があって、思わず両方驚きの声をあげた。五十年ぶりの昔の初恋の人との再会だった。彼女が二十そこそこの若いころ知り合ったその人とはおたがいの家庭の事情や反対もあって泣く泣く別れた経緯は私も知っている。今のご主人とはお見合いでもすっかり気が合って、未だに相思相愛のよきご夫婦、勿論昔の彼のこともご主人は知っている。
 「それで、どうしたの?」
 「いやあ、二人とも驚いたの何の、だって今やおじいさんとおばあさんよ。」
 帰りがけに彼が写真をとりたいと言い、ツウショットで写真をとったそうだ。時がいっぺんにもどっていくその瞬間の情景が電話の向こうの弾んだ声に浮き上がってみえた。
 Yさんも又、子供が幼稚園の年少組からの付き合いの、古い友人である。十年以上前にC型肝炎を発症、ふつうとはちょっと違う型の難しいタイプとかで、ガンに移行したあともずっと闘病生活を送っている。小柄で色白のキュートな女性。その彼女が最近、故郷の出身高校のクラス会に出席したときの話である。学生時代恋人だった彼に逢ったそうだ。彼らも又、親の反対で結ばれなかった同志だ。その彼が、今、重病の奥さんを抱え、長年の看病疲れも手伝ってすっかりおちこんでいた。
 「あなたがしっかりしなきゃダメじゃないって、はっぱかけちゃった。」
 Yさんは明るい声で笑ったが、彼女のこの十年間のさまざまの闘病体験を知っている私はかんたんに笑えなかった。逢って病気の話をする度に涙ぐむ彼女、病気というのは予定通りのこともあれば、まったく予測不能のこともある。その時々耐えて行くのは、若い頃の神経の細い彼女にはとてもたいへんなことだった。今もなお忍び寄る病魔と闘いながら、でも、人を激励できる余裕のある彼女の変わりように私は驚いた。
 ずい分前から彼女は年賀状に水彩で、風景画、それも娘さんが転居した先のヨーロッパの、を画いてくれる。もちろん、素人の域(いき)を出ないが、何ともしみじみとしたあたたかい絵であった。そういう趣味があるのをまったく知らなかった。たぶんそういう形で彼女は自分の不安を紛らわせていたに違いない。
 人は誰しも自分の中に夢とか思いとかをひそやかに抱きながら生き続ける。ふつう夢は中々実現しないが、夢をもつことと、持たないこととの間には大きな落差がある。
 自分が年を取って初めて私はまわりの色や情景がよりいっそうよくみえるようになった。若い頃は全く気づかずにいた木々の葉一枚一枚の小さなしわぶき、つぶやき、同じようにまわりの人たちの生きている情景は何と豊かな情感に満ちていることか、その度に思うのだ。

 


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