SSブログ

じゃがいもころんだ №64 [文芸美術の森]

美人になりたい

                                    エッセイスト  中村一枝

 犬の散歩の途中通学路で小学生の子供たちによく出逢う。いつも思うことだが、どの子もきりょうよしで、かわいい子が多い。それだけ日本人の文化度が上ったのかな。着ているものがまたお洒落で、気の利いた色づかい。私の子供の頃と比べるとかなりへだたりがある。
 幼い頃から私は外見を気にする女の子だった。服の好き嫌いなど言える時代ではなかったが、それでもひそかに、あれがいいなこれがいやだなと、心の中で選別していた。世の中戦争の真っ最中、着るもののことをとやかく口にするのは非国民という風潮である。物質的欲望を持つことはいやしいことであり、恥ずかしいことでもある。質実剛健、質素倹約は当然の国民の義務というのが風潮である。母が特にそうだったわけではないが、着るもののことをあれこれいうのは子供らしくないと思っていたようである。
 幼い頃から本が好き、童話が好き、体が弱かったせいもあって物語の中にのめりこんだ。おはなしに出てくる、王子様、お姫様に憧れた。美しい王子、美しい姫君、現実のものでなくても空想の中で身近だった。
 父は当時 文壇の中でも丹羽文雄氏と共に美男子と言われた。母は母でうるうるとした大きい目の、たおやかな物腰が人目をひいた。授業参観で後方の席にずらりと並んだ母親たちを子供たちはめざとく選別した。その点、私はいつも鼻が高かった。いまだに、「あなたのお母さまってきれいだった」と言われる。母には妹が二人いて、私とは余り年の違わない叔母たちだった。彼らが又、美人だったことも私のこだわりに拍車をかけた。
 私と一つ違いの末の叔母は、二人の姉に比べすこし見劣りすることを子どもの頃から気にしていたらしい。あるとき彼女の部屋の机の上におかれたノートを何気なく開いたことがある、ページ一杯に- 美人になりたい、美人になりたい、と同じ言葉が連ねられている。次のページもその次のページもその言葉で埋まっている。
 私は驚きと同時に強い共感と、同情を覚えた。同じように顔のことで悩んでいる人がいたとは。でも、そのことは、遂に叔母には言わなかった。
 私がふたこと目には顔のことを言うので、母はとうとう怒り出した。まじめで、一途な気性の母はだんだん腹が立ってきたらしい。
 「女は顔じゃありません。心です。心が美しければ顔は自然とついてきます」
 そりゃあないわ。私は心の中で秘かに思っていた。当時の母親には、小学生や中学生の娘が早くからお洒落に興味を持ったり、顔のことをあれこれ言うのはよくない、といった、古めかしい道徳観念があったらしい。
 私が年中、顔のことを気にして、不満に思っているという話はいつのまにか母から父の耳に入ったらしい。ある時自分の日記帳を開くと、父の字でこんなことが書かれていた。
- あの子の鼻は高くはないが、低いことがあの顔の調和を破ってはゐない。むしろあの鼻のもつ豊かな丸味は誰の眼にも親しみぶかい安らかなものを感じさせる。-
 日記を読まれたことを怒るよりも、父のおおらかな、暖かい愛情がゆったりと私を包んでいった。ふだんほとんど父娘で話すことはなかったが、私は自分勝手に父をそばに引き寄せその大きな心を存分に味わった。
 でも、美人になりたい私の気持ちは、かなり年を経るまでずーっと続いていた。 


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0