西洋百人一絵 №3 [文芸美術の森]
マザッチョ「貢の銭」
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
15世紀の初め、ルネサンス絵画を大きく革新した画家がフイレンツェに登場した。
マザッチョ(1401~1427)である。
彼は、その後の西洋絵画の規範となる線遠近法と明暗法を確立するとともに、人間の肉体の立体的表現を追求し、現実感のある絵画を生み出した。
マザッチョは、26歳という若さで世を去ったため、残された作品数は少ないが、その代表的なものを見るためには、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の中にあるブランカッチ礼拝堂を訪れるのがよい。
この礼拝堂の壁画群は、他の画家との共作であるため、すべてがマザッチョの手になるものではないが、マザッチョが担当した壁画は、とりわけ勝れたものとして名高い。その中で、私は「貢の銭」を上げたい。
主題は新約聖書のエピソードから取られ、255×598cmという大きな画面には、三つの連続する情景が一画面におさめられている。
(中央の人物群)キリストと使徒たちの一行がカペナウムという町に入ろうとしたとき、収税吏から神殿税を納めることを要求された。そこでキリストは、ペテロに「海に行って釣り針を垂れ、最初に釣れた魚の口の中にある銀貨を収税吏に与えなさい」と命じた。
(左部分)ペテロは、収税吏の要求に憤然としながらも、海に行って釣れた魚の口から銀貨を取り出した。
(右部分)そしてペテロは、その銀貨を収税吏に渡した。
このように、一つの画面に、時間の異なるいくつかの場面を描き入れることを「異時同図法」というが、マザッチョは、三つの情景を同じ地平に設定し、違和感のない、統一したドラマとして展開させている。
背景の建物などの遠近法も巧みで、透視線の集まるところ(消失点)はすべてキリストの頭部に設定されている。人物たちの見かけの大きさも、私たち絵を見る者からの距離に応じて、比例的に縮小して描かれている。それらの人物たちは、右側に想定された光源からの光を受けて、陰影のある肉体で地面に立ち、地面にのびた影の効果とあいまって、存在感を高めている。
このように、中世絵画とは画然と異なる、現実感のある写実的絵画を生み出したマザッチョが、もし20代後半という若さで夭折しなかったとしたら、その絵画はどんなところまで行ったのだろうか、などと想像してみたくもなる。(終)
(図像)マザッチョ「貢の銭」(1425~28年頃。フィレンツェ、カルミネ聖堂)
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