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浦安の風 №71 [雑木林の四季]

「特定秘密保護法」を許してはならない

                                        ソーシャル・オブザーヴァ―  横山貞利

 去る10月21日、「学徒出陣壮行会」(1943年=昭和18)から70年が経ち、テレビや新聞で取り上げられていた。テレビでは、雨の神宮外苑競技場(現国立競技場)で行われた出陣学徒の分列行進の映像が放映された。わたしも終戦特別番組などで何度かこの映像を使用したが、改めて目頭が熱くなった。また、10月3日には、「日本傷痍軍人会」が、会員の減少、高齢化を理由に11月末日を以て解散することを決定した。

 戦後68年経って、こうした人々がどんどん忘れ去られていく社会状況の中で、政府は「特定秘密保護法案」を閣議決定し、この臨時国会で成立させることを目論んでいる。
「特定秘密」とは
1、 外交
2、 防衛
3、 テロ活動の防止
4、 特定有害活動の防止
の4分野を「特定秘密」とし、その「保護」を義務化しようとするものである。
 この「特定秘密」の指定は、当該大臣が任意に判断して指定し、第三者のチェックをうける必要はない。従って、政府の裁量で如何様にも恣意的に指定し運用できる。
その上、「特定秘密」に指定された分野を担当する省庁の職員は当然秘匿義務を負うが、その他にも独立行政法人や地方公共団体に属する職員、民間業者や大学などの研究者・有識者でも、指定された「特定秘密」に少しでも拘りがある人たちも秘匿義務を負うことになる。そればかりか、町工場の工員でも防衛機器の最高機密部品を作るに当たって知りえた機密も「特定秘密」に指定されていれば機密を漏らしてはならない義務を負わされるに違いない。
 こうした秘匿義務を負うことを課された人たちは「適性評価制度」によって「日ごろの行いや取り巻く環境を調査し、対象者自身が秘密を漏えいするリスクや対象者が外部から漏えいの働きかけに応ずるリスクの程度を評価され、適性の有無を判断される」のだということだ。従って、本人の性格や飲酒、精神の問題に係る通院歴、外国への渡航歴などのプライバシーを徹底的に調査される。これは、仮令国家公務員であっても「人権無視の違法調査」といわねばならない。更に、メディアの記者、ジャーナリスト、大学や総研の研究者まで監視の対象になり、わたしたちは全く知ることができないのである。また、仲間で「特定秘密」に該当するような議論をしていると「4、特定有害活動」とみなされることもあり得る。そのために、公安警察や自衛隊保安隊などが常日頃から監視をつづけることにもなる。
 その上、ひとたび「特定秘密」に指定された案件については、立法府の国会議員や司法府の裁判官も拘束されるから、国会審議においても行政府(政府)の裁量で議論の対象外に置かれることもあり得るし、漏えいの疑いや漏えいを示唆した疑いで起訴され裁判になっても「特定秘密」の内容が全く解らないまま裁判官は判決を下す可能性だってあるのに、最高10年の懲役刑を科せられるのである。
 「特定秘密」指定は、5年毎に見直されることになっているが、これは何回でも更新でき、30年経過しても政府が“不可”と判断すれば「特定秘密」は継続され、永遠に明らかにされる可能性はない。このように「特定秘密」は、全て政府(行政府)の裁量で決定される真に恣意的な法律である。従って、原発に関する情報やTPPの交渉経過、更に、これから交渉が開始される「日米防衛協力のための指針(日米ガイドライン)」の再改定において「どんな条件或いは密約」が付加されるか、おそらく全て「特定秘密」に指定されて、わたしたちは知ることができないだろう。

 抑々、日本国憲法の三大原則は「主権在民、基本的人権、平和主義」であって「特定秘密保護法案」は、全て日本国憲法に抵触する“違憲法案”であると言ってもいい。内閣総理大臣は、行政権を委託されているに過ぎず、オール・マイティーの権限を与えられているのではない筈だ。こんなことが罷り通るとしたら、それは戦前の「治安維持法」に匹敵する「法案」の第一歩であり、「集団的自衛権」の解釈改憲や国家安全保障会議(日本版NSC)と共に「自民党憲法改正草案」の先取りであるとも言えよう。

 いま、わたしの机の上に、フランスの心理学者フランク・パヴロフが書いた寓話「茶色の朝」という薄い本が置いてある。この寓話の内容は、
 ある日、茶色の犬や猫以外の色の犬や猫を飼ってはならないという法律が施行され、黒い犬や白い猫は安楽死させるようお達しが出された。そうこうしているうちに、茶色だけという法に批判的な新聞は発行停止になり、茶色のラジオ以外は認められなくなる。
更に、以前茶色以外の犬や猫を飼っていたか、親や兄弟、親戚などが茶色以外の犬や猫を飼っていないか自警団によって査問され、違反していれば拘引される。
(以下「茶色の朝」終わりの部分から引用する)
「最初のペット特別措置法が課せられたときから警戒すべきだった。」(中略)「いやと言うべきだった。抵抗すべきだった。でも、どうやって?。政府の動きはすばやかったし、俺たちには仕事があるし、毎日やらなきゃならないこまごましたことが多い。他の人たちだって、ごたごたはごめんだから、おとなしくしているんじゃあないか」

この「茶色の朝」は、日本語版用にヴィンセント・ギャロが描いた絵(イラスト)を含めて30頁もない短い寓話である。表紙の帯に「これは昔々ある国で起こったおとぎ話ではない」と書かれている。この寓話は、将に今日のわたしたちの情況そのものを象徴しているように思う。
 是非読んで戴きたい。きっと今日の情況を考える参考になる筈だ。

 *「茶色の朝」
   フランク パヴロフ・物語
   ヴィンセント ギャロ・絵
   高橋哲哉・メッセージ
   藤本一勇・訳
   2003年12月8日初版 大月書店発行
   (定価 1000円+税)


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