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じゃがいもころんだ №60 [文芸美術の森]

食いしんぼうの秋

                                    エッセイスト  中村一枝

 地球の温暖化をこのまま放置しておくと今世紀末には気温が8度くらい上昇するという。今世紀末にはこの世にいないとしても空おそろしい。
 ここ何日か気持ちのいい秋空を仰ぎ、改めて日本の国土の美しさに感じ入っている時だけに、それだけ気温があがったら、美しい国日本などととても言ってはいられない。
  魚、野菜、果物などにも大きな影響があるのだろうか。
 この間、サンマの初ものを頂いた。ふだん魚を食べる方ではないのだが、「さっき産地から送ってきたばかりなの」と、とれたてのを一匹まるごと持ってきてくれた。すらっと伸びたサンマのはらわたをえぐり出し塩をふった。 子供の頃は疎開で伊豆の伊東にいたから、物もないときでも、魚のおいしさを存分に味わってしまったせいか、スーパーでだらっとした切身を見ても余り買う気がおきないのは確かである。
  栗ごはんというのも昔から好きだった。伊東の家の裏に大きな栗の木があり、大家さんの家の男の子と、棒でたたいて落とした。いががささると、とても痛いものだとはじめて知った。栗をゆでて食べるのもおいしいが、何といっても栗ごはん、ちょうど新米の季節と重なるから、栗の香りと新米のまろやかで新鮮な甘みがミックスして、最高の味わい。「よく栗の皮をむくわね」と言われるが、もう、二十年前に大枚をはたいて栗むき器を買った。一代目はまことに愛(う)い奴で、実に手軽によくむけた。でもその内刃がぼろぼろになり、取り替えても前のようにはいかない。今の二代目は一代目に比べてかなり劣る。
 茸類の豊富さも又秋の楽しみ。この夏、八ヶ岳で、短期間、地元の生協に加入したが、茸類の安さとおいしさはさすが地元だなと思った。香りと歯ざわり、東京のスーパーのとはまるで違った。それに安い。きのこごはんも美味しいが、パスタに使うと又、おいしい。
 秋は又果物の種類が豊富で、ぶどうも最近は種類が多い。私はつい巨峰やデラ・ウエアに目がいってしまうが、難しい名前のぶどうがひしめき合っていて、それも楽しい。
 私はぶどうでも、やはり酸味の強いのが好きで、選んでしまう。
 「今年の梨は味がわるい」と友人が言う。暑すぎたせいか、確かに、みずみずしさに欠ける気がする。その代わり、リンゴの味がいいと何かに書いてあった。リンゴと言えば私は子供の時から紅玉ファン。あの酸味とかたさは他に替えがたい。ただ、紅玉は旬も短いし、数も少ないから、ふじの新しそうなのを探す。リンゴを使うホームケーキは、簡単で、味もいいから、これも楽しみ。手間さえ惜しまなければ、口も腹も、存分に楽しめるのだ。
  食いしんぼう、というのは多分に遺伝に違いない。父も又、食いしんぼうで、よそから頂いたかまぼこなど、決して台所には置かず、自分の書斎に置いて、ひそかに小刀で切って食べていた。「おい、お前、食うか」と、小さなひと切れをくれたりした。
 食いしんぼうは又、まめでもある。父は郷土の名産、エビ煎餅も、火鉢で丁寧に焼いて醤油をちょこっと垂らした。病床についてからも、部屋においた火鉢で魚を煮たりしていた。味付けも抜群でうまかった。私も食いしんぼうだけは父ゆずり、食べることに関しては手を抜かず、手間を惜しまずの口である。だいたい食べることの好きな人は陽気で前向き、目より口の方が先に出てくる人が多い。食いしんぼう人生、万歳である。


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