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浦安の風 №62 [雑木林の四季]

「主権回復の日」と「沖縄」

                                           ソーシャル・オブザーヴァ― 横山貞利

 前回につづいて「主権回復の日」と「沖縄」について考えてみたい。
4月28日に政府主催で「主権回復の日」の式典が、天皇臨席の下で開催されるが、安倍首相は、1952年(昭和27)4月28日に「対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)」が発効したのを受けて「主権回復の日」と定めて式典を催すというのだが、何故61年も経って開催するのか理解に苦しむ。大概、こうした国の式典というものは、20年とか25年あるいは50年というように切れ目のいい年に行なわれるものだが、わざわざ61年という半端な年に国の行事を開催するのだから、何らかの意図があるに違いない。

 抑々、天皇臨席という国事行事は、日本国憲法・第7条{天皇の国事行事}に規定されているが、その条文では、
「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」
として、その第10項に
「儀式を行ふこと」
とあり、無理矢理第10項に該当させて天皇にご臨席戴くのであろう。しかし、今回の「主権回復の日」式典においても「内閣の助言と承認」はあることだが「国民のために」ということには疑義があるように思う。どちらかと言えば、安倍首相や自民党の意向を実現するために「天皇の国事行為」を拡大解釈している疑いも出てくる。幕末・明治維新時、薩長藩閥連合になったが、明治10年の西南戦争で西郷隆盛が亡くなり、大久保利通が暗殺されて長州閥の独壇場になった。将にこの時代の長州閥の手法に似ている。安倍首相は長州人だから、血筋は争えないのかも知れない、と穿って考えてしまう。

  「国民のために」というのであるならば、沖縄県民の気持ちにもっと配慮があってもいいのではないか。
 沖縄は、1952年(昭和27)4月28日以降も、対日平和条約と同時に日米で調印された「日米安保条約」によって米軍政下に置かれて苦難な状況に置かれたまま、1972年(昭和47)5月15日にまで日本に復帰できなかった。そのことを思えば沖縄県人の気持ちを逆なでするような“国事行為・式典”であり、再び沖縄県民を置き去りにするようで違和感を覚えるのは已むをえない。仲井真弘多・沖縄知事が「主権回復の日」式典に欠席して、副知事が代理出席することにきめたのは苦渋の選択であり、至極尤もな判断であるだろう。

 顧みれば、太平洋戦争(大東亜戦争)に於いて、沖縄は唯一地上戦が行われた。戦死者・行方不明者は合わせて188.136人、そのうち沖縄出身者は122.228人(沖縄県調べ)で、実に65%に当たる。その死者の中には、“自決”を強いられた民間人や「鉄血勤皇隊」・「ひめゆり部隊」など10代の少年、少女も含まれている。沖縄戦は、1945年(昭和20)6月23日に組織的戦闘は終結され、以降広大な米軍基地が沖縄本島の主要な地を占領し、朝鮮戦争やヴェトナム戦争の前線基地の役割を担わせられた。米軍基地は、沖縄本島の約20%を占め未だに治外法権の場となっているのである。
 沖縄戦とは別に、親泊朝省(おやどまりちょうせい)元陸軍大佐は、敗戦時、大本営報道部長兼内閣情報局報道官を務めていたが、“大日本帝国と皇国”に殉じて妻と二人の子を伴い自決した。親泊家は、代々琉球王朝の側近の臣であったそうだが、親泊元陸軍大佐は、士官学校出身で陸軍大学校では騎兵教官を務めたこともあるという。
 このように少年、少女から帝国陸軍将校まで、多くの沖縄の人々が“国”に殉じて亡くなった事実を忘れてはならない筈だ。こうした現代史を無視して「主権回復の日」の式典が挙行されようとしているのである。

 ところで、去る4月10日の衆院予算委員会の「教育」についての集中審議の場で、安倍首相は「教育基本法を改め“愛国心、郷土愛”の教育を進めるようにしたが、そうした教育がされていないし、“愛国心、郷土愛”を盛り込んだ教科書もない。教科書検定官も解っていない」という意味の答弁をしていた。そうした不満は、教育長を都道府県知事や市町村長の任命制にする方針を打ち出していることと相俟って教育の中央統制を推し進め、戦前のような教育制度に戻したい意向があるようだ。
 その他にも、「秘密保全法案」を作り、機密保持を公務員だけでなく民間人にまで広げて拘束できるようにするとか、カンパがテロ組織に流れるのを阻止するために「カンパ活動」を制限しようという報道もある。また、海外で働いている邦人救助のために自衛隊を海外派遣できるように自衛隊法を改めるとか、「集団的自衛権」の行使を目指すなど、あらゆる場・案件で国家統制を強めることと連動しているようだ。
 こうした安倍首相の政策・意向は、戦前の「治安維持法」に繋げようとする意図があるのではないか。その契機が「主権回復の日」の真の趣意ではないか。その意味では、安倍首相の「戦後レジューム」からの脱却と軌を一つにしていて、以前この欄で書いたように「戦後レジュームからの脱却」とは「アンシャン・レジューム」ということであり、最終的には「日本国憲法」を改悪しようとする意向に合致している。
 
 その手始めに「憲法第96条」の「改憲発議」を両院国会議員の“三分の二”から“過半数”に改めハードルを低くしようとする強硬な発言となっているとしか思えない。

 「主権回復の日」について、こう考えてしまうのは、わたしの思いすぎなのだろうか・・・・・。


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