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詞集たいまつ №69 [雑木林の四季]

さばく章

                                 ジャーナリスト  むのたけじ

(2160)統計や報告を見るより、耳をすまして聴け。大人たちは何をしゃべっても叫んでも、ぐちか悲鳴だ。だから子どもたちが何を言っても歌っても踊っても、ヒーヒーかキャーキャーのどちらかである。音楽会で何を演奏しても独唱しても合唱しても、明確な歌詞に出会うのは稀である。ほとんどが言語不明のわめきか、すすり泣きか、ひまつぶしのハミングである。この状態は何を語るか。説明は一個しかありえない。必ず言わねばならない最も大切なことを言えなくなった集団の、だまりこくり病症候群である。

(2161)それでなくとも歩きにくい雪道で、両手に荷物を持った私の足どりは牛歩よりおそかった。わが家へ着くまでに坂を二つ越えないといけなかった。ふと背後から小さいけど元気のよい足音が近づいて、すぐ私を追い越した。赤いゴム長をはいた小さな子で、ランドセルの色からして明らかに小学一年生だった。娘は私より一〇数歩ほど先に出ると、振り返って私をみつめて、トトトと私の背後に回った。娘が沈黙したまま私にかわいい声で話しかける言葉が私の耳に澄んで聞こえた。「おじいさん、大変ですね、でもわたしが後ろから見守りますから、さあ元気を出して坂をのぼりましょう」……娘は今度は私の横に来て歩調を合わせた。娘は私より先に出ると、あわててまた私の横につく動作を何度も繰り返した。とうとう私は立ち止まって彼女に言った。「ありがとう、心配して下さってありがとう。でも私はもう大丈夫。あなたは早くおうちに帰りなさい。ありがとう、ありがとう」……彼女はじっと私をみつめて、それからすたすたと歩きだした。二〇歩私から遠ざかると、振り返って私に沈黙した声で声をかけていた。三〇歩遠ざかるとまた振り返り、四〇歩遠ざかるとまた振り返り、やがて姿が見えなくなった。どこの町内の、どの宅の子かは知らない。二〇〇二年二月某日、秋田県横手市新坂通りで七歳と八七歳とのふれ合いは一〇分そこそこでしたが、その間その小学生は全く一語も発しなかった。事情は言うまでもあるまい。少年少女たちに対して、わが命を守るため雪より冷い猿ぐつわをはめよと、大人たちが平気で言い聞かせている日本社会とは一体なんであるのか、何ではないのか。それでいて小泉内閣は、異国の戦争計画に召使となって奉仕する準備を進めながら、戦争になったら日本国民を保護する法律を作ると言う。あの三月一〇日の東京で一夜で一〇万人の日本国民が爆撃れたとき、国家も政府も帝国軍隊もへったくれも、たった一人の国民をすら救えなかった事実をもう忘れたのか。日本国とは一体なになのだ?

(2062)水ハ最後二海二帰り、土ハ最後二土二帰り、空気ハ最後に二空二帰ル。人ヨ、オ前ハ水ヲ飲ミ空気ヲ吸イ土ノ上デ暮ラシナガラ、水ヲ汚シ空気ヲ汚シ土ヲ汚シ続ケテイル。人ヨ、オ前ハ最後二ドコニ帰ルカ。帰ル場所ガ地球ノドコニアルカ。

『詞集たいまつⅣ』評論社


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