SSブログ

西北への旅人 №67 [雑木林の四季]

赤壁の風

                              元早稲田大学総長  奥島孝康

 『三国志』は私の読書歴の原点である。もっとも、正確にいえば、私の読書歴は小学校三年生のときに読んだデュマの『三銃士』に始まる。東京の叔父が土産に持参してくれた少年小説の『三銃士』が私の読書欲に最初の火をつけた本であった。
 ところが、悲しい哉(かな)。敗戦直後という事情に加えて、四万十(しまんと)川の源流に近い山村である私の郷里には、読み物らしい読み物がほとんどなかったのである。それでも、なんとか手にすることができたのは、吉川英治の『宮本武蔵』とか『三国志』であった。原体験というものはまことに恐しいものである。その結果、私の読書の原点は『吉川三国志』とデュマの『モンテ・クリスト伯』ということになる。とりわけ、前者は中国の広大な山河を舞台にくりひろげられる壮大な人間ドラマの世界に幼い私をとりこんでしまった。高校時代、私がかなりの数の「唐詩」を暗誦(あんしょう)するようになったのは、三国志の強烈な影響のせいであろうと思われる。
 長じて、専門の法律書以外は、もっぱら西洋の文学や歴史書に親しむ歳月が続くが、私が再び中国史の世界へ回帰するのは、陳舜臣氏の『小説十八史略』や『中国の歴史』のおかげである。一九八二年、北京大学との交流協定を結ぶため、私は初めて中国を訪れ、故宮(こきゅう)、万里の長城、明(みん)の十三陵(じゅうさんりょう)等を見学する機会を得た。そして、その壮大きに圧倒された私に、再び幼き日の三国志の読書体験が蘇り巴蜀(はしょく)の地を踏みたいという渇望が生じた。それは最近ようやくかなえられたばかりか、「赤壁(せきへき)」を見物する機会さえも得た。陳氏の『秘本三国志』と『諸葛孔明(しょかつこうめい)』とでは、赤壁の戦いに関し、曹操(そうそう)の長男曹丕(そうか)の退却路(華容道・かようどう)の準備についての叙述がまるで違っていることなど読み比べながら、いつの日にかその地を訪れる目を思い描いていたのである。
 その機会は意外と早くやってきた。「一九九七年八月九日、私と妻、ならびに、牛山積教授(早稲田大学常任理事)夫妻は上海対外友好協会により、いわゆる「三峡下り」の船旅に招待された。長江が三峡ダムにより塞(せ)き止められる直前に、重(じゅうけい)慶から武漢(ぶかん)までの三船中泊の旅を楽しませていただくという光栄に浴したのである。私には、船中、観光という感覚よりも、中国の悠久の歴史をたどるセンチメンタル・ジャーニーの感慨に浸る、まことに得難い体験であったが、その船旅の終わりに、同
行の稲畑耕一郎教授(早大文学部)の提案で、「赤壁」見物が実現した。
 ここで、三国の三大戦役の一つといわれる赤壁の戦い(二〇八年)について云々することは避けるが、この辺鄙(へんぴ)な地を訪れることができたのはもっぱら上海友協のご好意によるものであ。、この機会を逃してはおそらく二度と訪れることはできなかったであろう。しかも、赤壁への途中、中国の「大地」の真の姿に触れるという望外の体験もたっぷりと味わうことができたのであった。
 案内書によると、武漢から赤壁までは、往復およそ三七〇キロであるが、実際の走行距離は約五五〇キロであり、おまけにかなりの悪路であるため、往復約一〇時間近くかかる長旅であった。
 ところで、赤壁の位置については諸説がある。よく知られているのは蘇東被(そとうば)の詩でうたわれた「文の赤壁」といわれる黄州(こうしゅう)説であるが、現在では、史料の検討や武具等の出土品により「武の赤壁」といわれる蒲析(はき)説が定着してきているようである。私たちは当然蒲析市へ向かった。途中、いかにも中国らしい素朴な村落を次々と通過し、いたるところ工事中の街道を砂ぽこりを盛大にあげながらひた走りに走り続け、ようやくたどり着いた赤壁は、拍子抜けのするほどなんの変哲もない長江の一岸辺にすぎなかった。
 もとより、岸辺の小山である赤壁山には、これまたいかにも中国らしく、戦いの主役であった周喩(しゅうゆ)の大石像もあれば、近くには孔明を祀(まつ)った武侯宮(ぶこうきゅう)もあるが、赤壁そのものは、岸辺のさして大きくもない岩壁に朱文字で「赤壁」と彫ってあったにすぎず、ここが一八〇〇年近い昔の古戦場であるとはとても想像がつかないような場所であった。がしかし、私は十分に満足であった。私が赤壁の旅に求めたものは、ただただ「兵(つわもの)どもが夢の跡」に立ち、その岸辺を吹きわたる風に身をさらしてみたいという想いにすぎないからである。
 陳氏は、優れたストーリーテラーであるが、本質的には歴史家ではないかと思う。陳氏の『英雄ありて』には「三国志の旅」の一編が収められているが、それは「歴史」の案内である。それは、また、陳氏独自の歴史観、つまり、同氏のとらえた時代の空気である。歴史かではない私が陳氏の小説に魅(ひ)かれる理由もそこにある。私が三国志の旅に出るのは、陳氏が伝える中国の大地の「空気」の中に身をどっぷりと浸してみたいがためにすぎない。そして、三国志にこだわるのは、「三国志の物語を知るのは、中国人の心の素材を知ることである」(『秘本三国志』単行本「あとがき」)と考えるからである。
             〔『陳舜臣中国ライブラリー持月報3』(一九九九年七月)〕

『西北への旅人』成文堂


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0