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詞集たいまつ №65 [雑木林の四季]

さばく章

                                 ジャーナリスト  むのたけじ 

(2136)恋愛に終わりはないと思うから、恋愛をする。けれど恋愛は必ず終わる。恋愛であるから。もし終わらないとしたら、まだ始まっていないか、全く別のものになっている。別のものに定形はない。まさに創造であるから。

(2137)にくむ、にくしみ、ぞうお……発音するだけで寒くなる。といって、憎むを憎むだけでは温くならない。旧約聖書を読み始めると、五ページの第四章で人類の最初の人殺しが起こる。アダムとイブの長男が実の弟をねたみ憎んで謀殺する。憎むという心の働きは、人の歴史でそれほど古くて深い。憎む理由のないものを憎むのと、憎まねばならないものを憎まないのと、どちらも人の根本の罪である。罪を除く手だてがあるか。憎むべきものを正当に憎めば、不当の憎しみも不要の憎しみも減っていくのでないか。それが道ではないか。

(2138)ユーモアが笑いを生む、というが、それなら笑いはユーモアのオシツコ、ウンコだな。実際には、人間生活の排泄を始末する洗い水、ぬぐい紙、粗相を防ぐおむつなど、人々のそうした働きの姿からユーモアが生まれるのでないか。

(2139)自分の知らないもの、わからないものに出会うと、大多数の人は黙殺または敬遠する。ごく少数の人が鋭く反応して、実体を確かめようとする。この人たちの特徴は、初めて出会ったものに偏見や独断を持たないで、あるがままに見ようとする熱心である。この少数の人の努力がすべての人に利益をもたらしている。その事実を大多数の人は知らな
い。初めてのものを黙殺または敬遠する癖が身に付いているから。

(2140)世の悪を論じた書物が山ほどあるけれど、悪を減らす役に立っていない。筆者たちが、わが輩は善人であるという自意識にすわって書いているからである。悪人が悪を語った書物はどうか。進行形の悪人は悪をするのに忙しくて悪を語るひまがない。悪人が悪にっいて書く書物は、元は悪人でしたが今の私は悔い改めていますという陳述だ。悪は美
談の言うことを聞かない。すると世の悪をなくすのに役立つ書物は全くあり得ないか。全くあり得ないか、少しは役立つ書物がありえるか、それは試し続けるしかない。但し説教であれ懺悔であれ他の何であれ、悪の根は言葉では断てないと思い知って思慮をめぐらすことだ。

『詞集たいまつⅣ』評論社


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