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詞集たいまつ №63 [雑木林の四季]

さばく章

                                 ジャーナリスト  むのたけじ 

(2121)三〇年来わが家の庭で実りを作り続けてきたイチジクの木が、どか雪に幹を裂かれた。手当をしても助かりそうになかった。雪が消えると、すぐ葬った。根も余さず掘りおこし、その全身を焼いて灰を地面に撒いたが、その作業をやりながら、しみじみと思った、「植物であれ動物であれ、死体は灰にして自然にかえすのが一番きれいで自然な処置だな」と思った。すると途端に二人の人物に語。かけたくなった。…・‥レーニンさんに毛沢東さんよ、あなた方の死体は防腐剤を入れてミイラにされて見世物にされましたな。人間の解放、万人の平等、あらゆる特権の打破を求めた革命思想からすれば余りにも矛盾している。それに気付かないでミイラを拝ませるような後継者たちをつくったから、だからあなた方の志はつぶれたのではないか。「早く灰にして土に戻してくれ」とお二人とも悲鳴のように叫び続けているのではないか、毛沢東さんにレーニンさんよ。

(2112)ブナの森の中に一〇〇本の杉の大木が立っていても、そこを杉林とは呼ぶまい。ある種族から一〇人のノーベル賞受賞者が出ても、その種族をノーベル族とは呼ぶまい。例外は例外、番外は番外であって、全体を代表することも全体の中心にすわることもできない。英雄や偉人、帝王や天才なんかに脚光を集めた物語が多く見られるが、話題のつまみ食いだな。それによって歴史の全容を知ることも、歴史の中心に迫ることも望めない。

(2113)徳川時代の各藩政府は、領民の暮らしにきびしく制限を加えた。衣類の布地から椀の中身、ムラ付き合いの範囲など、まさに箸の上げ下ろしにまで布令を出して取り締まった。領民に反抗させないため、日常生活からしてがんじがらめに抑え込もうとした。そんな庄迫にもかかわらず正味二七〇年の徳川期に全国の百姓たちが立ち上がった一揆は、目ぼしいものだけで三〇〇〇件に達した。先祖・先輩たちのそういう血が自分の体に流れていることを、いまの私たち日本人はけろりと忘れさせられている。 - 反抗すべきものに反抗する能力を持たないと、愛し合うべき相手と愛し合えない。

(2114)さざれいし(細石)は岩石が砕けに砕け果てた姿である。もう岩には戻れない。地面に撒かれた水が元のコップに戻れないのと同じだ。その細石が巌となって苔が生えるのを待つのは千年万年をかけてもむだだな。待ちぼうけの歌なら別によいのがある。ナショナルソングにして恥をさらすまでもあるまい。

(2115)上手な手品師はわざとしくじって観衆を笑わせ、そのすさに次の手品のタネを仕掛ける。悪知恵の支配者はわざと悪政をやって民衆を怒らせ、騒ぎのすきにもっとひどい悪政を仕掛ける。

『詞集たいまつⅣ』評論社


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