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パリ・くらしと彩りの手帖 №19 [雑木林の四季]

2012年12月のパリ

                           在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ

2012年のフランスは5年に1度の大統領選挙の年であり、政権が右から左に移ったことが何と言っても今年の一番大きい出来事と云えよう。失業者の数は前政権からずっと増え続けているし、ヨーロッパの中では一人抜群のドイツは別として、フランスもひどく成績が悪い方ではないのだが、それが年末ともなると貧しい人々は ここぞとばかりそのみじめさを主張するし、富裕層はもっと暖かいリゾート地にバカンスと決め込むし、中間層の、要するに一般の人々だけが、クリスマスや大晦日のレヴェイヨンを、せめてそれなりに豪華にやろうと今はもう買い物で頭が一杯だ。クリスマスは家族の食事、そしてその一週間後には大晦日の食事で、このレヴェイヨンの方は、友人達とというのがフランス人達の一般のやり方だが、なま牡蛎で始める食事には 高くてもフォワグラを用意、肉が柔らかくてたっぷり付いていると言う去勢した雄鶏を特別注文し、栗の付け合わせ、そして、最後の“クリスマスの薪”と呼ばれる伝統のケーキやアイスクリームは避けて通れない。そしてその日のクリスマスプレゼントは、どの人にとってもますます避けては通れないシーズンなのである。此れを目指して普段にはみられないような店が、ちょっと幅広い路上にオシクラマンジュウをして生えているのが今のパリ、12月半ばのパリなのである。地方都市の伝統として楽しまれていたこのマルシェが、今ではシャンゼリゼにまで出張して小さな小屋掛けでクリスマス用のものを売っている。それで私もこんな町並みを、ちょっと 久しぶりに味わってみたいと思い、パリの町に出てみた。キラキラの光がこの大通りにきらめいて、光がまるで上から落ちてくるような錯覚を生み出す流れが走り、いやが上にもクリスマスらしくなって、此れで本当に節電をしているのだろうかと不思議な感じだ。とにかくその思いに人々が年末までひたすら引き寄せられて行く様に町が変わってしまったのだ。さてそれらの小さな小屋組風の中では一体何を売っているのだろうか。フランス人のよく云う様に,わたしたちもちょっとばかり鼻を中にいれてみよう。何と言っても一番多いのは手工芸品であり、プレゼント用品だ。時計とかレースの飾り物とかが、いつもの現代風のデザインとはひと味違うものになっている。洋服とか、子供のおもちゃなどは、あくまでもその専門店に行けとばかりにここでは見る事はできない。やはりそれぞれの好みやサイズの問題、そしておもちゃは、今は何よりも安全性の問題があるから、こういう所では売っていない。現在のフランスのおもちゃは9割が中国からの輸入で、危険なものが多く、此れをまとめて燃す事が報道されて、安全なものを買う様にと促している。だからここではふらっと通りながら、ああ奇麗ね、懐かしいわねと云った気分で買ってしまうというようなものが圧倒的に多い。それからもう一つは,しばらくの保存がきくようなびんずめの食品、フォワグラとかトリュッフなどその人が詰めて来た所とでもいうようなものが沢山並んでいる。美味しい産地の名があって、そこの土地の人が詰めて来たんだという感じがすると、私なども弱くてつい買ってしまったりする。こうして1年に1回だけ生えて来るこのような商業ブロックでも、十分な仕事ができるのだろう。そしてかなりきつそうな家計の人々が、この時にかける費用は、私たち外国人の眼には莫大なものに映るのが常である。

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 さてこのように年も押し詰まった頃になって、数年前から話題になるようなならないような不思議なルーブル美術館の分館の披露式が大統領を迎えて、しかし静かに行われた。それはフランスの一番北にあたる、となりのベルギーに行く国境の近く、ランスの町に作られたもので、プレスへの報道も殆どないままに進み、オープンになると今度は何とルーブル2などとも呼んでいるのだ。もう何年も前から何度も記者達に発表して来たアラブの国に作っているルーブルはまだ完成していないが、いろいろと事情があるのだろう。さてこのランスの町は、シャンペンで有名な東のランスとは違って、昔の炭坑の町。勿論今は炭坑は閉められて、町には失業者があふれ、その文化的な設備のなさが一層の寂しさを生み出していた。そしてこのかつての炭坑の発掘の後,ユネスコの指定を受けたその場所に、28000平米の敷地の中の7000平米を展示場として、日仏米の建築事務所による設計で、ガラス張りの美術館としたのである。既にルーブルからの沢山の富を分散疎開させる意味と、このような文化を分け与えよという声とで、立候補して来た町の中からランスが選ばれたのである。正式には後数日はまだ一般の人は見る事ができないが、既に、こんな素晴らしいものが本当におらが町に来てくれるなんて思わなかったにと言う感動の声が聞こえて来ている。今後もルーブルの作品を送るだけではなく、ルーブルに見られる世界の他の作品の展覧会もここで見られる筈である。アイヤゴン文化大臣の時代に話が始まっていくつもの政府がそれを継承したもので、かつて50年前にフランスがマルロー文化大臣を中心に作ったあの各地への文化会館生誕を思わせる動きの第一歩と云えよう。
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  さて、ところで、新しい左派政権の政府、そして文化大臣も誕生して、その最初の正式な記者発表が文化省の由緒ある旧館の方で行われた。若い女性のオーレリー・フィリペッテイがオーデイオヴィジュエルの専門家、ピエール・レスキュールに託した“文化のアクションに関する中間発表”として行ったもので、文化省管轄のすべてのデジタルの問題点について触れ、そのクリエーターとその恩恵を受ける一般の人々との関係について考察を深めようと云うものである。音楽、映画,視聴覚、それに書籍、プレス、写真、ヴィデオゲーム等広い範囲をカバーするものである。
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 年末にはパリに,フランスに行こうと言う向きには、ルーブル美術館だけでもいろいろの新しい企画展がある上、ポンピド-センターでのダリ展に加えて、パリの新しい絵画展の要所となって来ているピナコテークでの展覧会は3月17日まで続くからいいチャンスだ。この展覧会は、題して“日本を夢見るヴァン・ゴッホと旅を育む広重”、2つの会場にそれぞれを展示して、“江戸からアルルの町に、内面の旅”の副題のもとに、この二人の作品を少し離れた会場で、比較しつつ見る事が出来る工夫が展示方法に見られて楽しい。この二人の旅路にくねり立っている松の木,アルルの太陽に向かってねじれている様が描かれている一方で、広重の方は錦絵による木の荒あらしさが受けて立っているものだ。東洋と西洋の美術の無限の差が一挙に無くなってしまうかの感があっていい。

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 このところガストロノミーに関する話題が多いのも年末だからだろうか。フランスでは有名シェフ達が集って気を吐いたり、政府に働きかけたり、いろいろなアクションをするが、日本ではどうやら一国一城の主は交わらない方を好む様にも見える。それはパリと言う視点から見ているからだけであろうか。今まで、フランスで気を吐いて来たのは、四国の料亭、青柳のシェフの小山裕久だが、此れを日本の他のシェフ達は、必ずしも日本料理を世界の人に知ってもらうための努力の様にはとっていなかったと思う。彼はフランス人に質問されれば、自分の答えはいつでもさっと出るし、ヨーロッパ人の感覚にとってはいい先生であり、日本という国のわからないところを問うことができる人として、フランスで何度もデモンストレーションをしたり、頼まれたり、その努力もかなりの年数にわたって日本の醤油メーカーなどのスポンサーで一人でここまで来られた。私自身もお願いして、仲間のフランスガストロノミーのジャーナリスとのメンバーのためのデモンストレーションを、パリの日本文化会館でやって頂いた事もある。こういう方々の努力が実り、世界的な寿司ブームの波に乗って人々の日本料理に対する関心は高まり、フランスのシェフ達がどうやったらあの日本の味を作れるのだろうとか沢山の疑問を持つに至ったのであり、日本料理はフランス料理とは関係もない別なものだと云う従来の見方が薄れ、シェフなればこそ世界の味というものを知り、創り出すことも出来る様になりたいと思う様になってここまで来たのであるから、素晴らしいときが到来しているのだ。このような時に、日本側で、日本料理文化委員会というようなものが、今までよりも公的な名称で乗り込んで来た。これにも勿論小山氏の名前は見られるが、このシェフのために組まれた日本文化会館でのデモンストレーションのおかげで、他の日本人シェフ達も紹介を受ける機会が増えている。そして、今回それを受けて立ったのが、フランス商工会議所の経営する料理学校フェランデイで、ここではその講義も行われ、生徒達も日本料理を勉強し、作る機会に恵まれた。名シェフのロビュッション達も此れを受けて立った。日本の古い食文化の伝統を守るのは当然の私たちの勤めである一方、全く異質のものだからと終わってしまわずに、その良い所、見事な所が、外国人達に充分に知ってもらえるものとして、新しいクリエーションも加え、同じ伝統料理でもフランスの食材を使って更にいいものを創造して行けるその基礎が今ようやくできて来たのである。この貴重な機会に大きな前進をと、日本の伝統的料理のシェフ達に呼びかけたい。日本人の料理のセンスは個々フランスでも大変評価が高く、フランスのいいシェフのもとにはフランスで料理を学んだ日本人がきっといて、いい仕事をしている事は皆が知っている事だ。

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  日本でも充分に知られている名シェフのアラン・デュカスは世界の国々に多くのレストランを持っているが、この人のパリのレストランのあるプラッザ・アテネ・ホテルで、京都の有名な和食料理の3代目の主人であるシェフ、村田吉弘が、先週その見事な腕前を披露した。7つの皿に盛ったコースであり、ゆずやこぶ締めなど日本の味をたっぷり使っているのに加えて、フォアグラやトリュッフ、サフランなどのフランスの食材もまたたっぷり使って見事なものを創り出していた。そしてそれは日仏の折衷料理等というたぐいのものではなくて立派な日本料理に新しい味が加わったものだった。同席していた、フランスのガストロノミーの専門記者達も食べ慣れた食材を使ってこのような味を引き出せるのだと感動していたのは嬉しかった。黒いトリュッフでとろみを付けたお椀ものや、サフランを入れた酢飯で作った鯖寿司、また、デザートのしょうがの飴煮をまぶしたアイスクリームもそれぞれに見事な味のクリエーションだった。村田さんはこういうものを通して日本料理が世界の味になって行く事が願いだとの事だった。飲み物はフランスの銘酒いろいろの他に、デュカス自身が力を入れて作っている日本酒、此れをまかされて作っているデュカスのソムリエの総指揮者とも云えるジェラール・マルジョンもこのデザートとの併せにかなり緊張の面持ちだったと云えよう。今から20年ほども前,このホテルのレストランでデユカスその人がパリへのデビューを果たしたときの事を思い出す。特に食事の前半とも云うべき、スープ、アントレ、そして魚料理と、ああ叉一人パリにいい料理人が来たといわせるものだったが、それは2週間だけの催しだったのだ。彼はそれより前からモナコのモンテカルロのホテル・ド・パリの中に“ルイ15世”と言うレストランを持ってすでに名声をなしていたのである。そしてそれからは世界を制覇する勢いで、今は彼のレストランが世界に持つ星の数は合計いくつなどと数えられている。その25周年を盛大に祝う企画が、何と世界の各国からの名シェフ200人を招待したのである。そしてそのミシュランによる星の合計は何と300という事である。3日間にわたって交歓を重ねたこれらのシェフ達は最後の大デイナーを終えてモナコで知り合った世界の同僚達と別れを告げ、それぞれの国に帰り,きっと友情の他にも新しい大きな何かを得てそれぞれの国に帰った事だろう。こうして世界の料理は現代に生き、前進をして行くのだろう。お客さんではなくて、世界の素晴らしい同業者との交歓の機会を作るとは、何と言う素晴らしい企画をした事だろう。まったく感動するイヴェントだった。日本からもシェフたちが招かれていたが、オーストラリアからの招待の中にもあそこで活躍する日本人シェフが入っていた事を付け加えておこう。料理には、そしてすべてのクリエーションにとっては国境という線はないのだということも。後2週間で生まれて来る新しい年、2013年がどんな舵取りをするのか、楽しみは尽きない。

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