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アナウンサーの独り言 №47 [雑木林の四季]

美しき若女形(わかおやま)たちに乾杯! 3

                         コメンテイター&キャスター  鈴木治彦 

 沢村藤十郎。この優(ひと)もまた美しい。ただし多分に現代的な美しさを持っている。紀伊国屋の家は祖父宗十郎といい、兄の現宗十郎といい従兄弟の田之助といい、古風な味わいをもった役者が多いのに、藤十郎だけはちょっと変わっている。
 精四郎(きよしろう)の頃から、どちらかというと古典より新作にいいものをみせてきた。『女形の歯』しかり。あの田之助役でみせた瑞々(みずみず)しく美しく、しかも迫力のある演技は、彼の代表作として忘れることが出来ない。立役もいけるが菊五郎と違って和事系の『野崎村』の久松やその他の若衆役までが藤十郎の守備範囲である。身近に勘三郎(藤十郎夫人の父)という偉大なお手本があるのは心強いだろうが、正直なところ、これからどのような道を進んでゆくのか、また進むべきなのか、藤十郎に関しては自他ともに未知数といった感じだ。『文七元結』の女房がよかったり、『夏祭』のお辰がよかったりする反面、紀伊国屋の家の芸の役々はとても向きそうに思えないところに藤十郎の『未知の魅力』があるのではないだろうか。
 片岡秀太郎。我当・孝夫の松島庭三兄弟の真ん中で唯一の女形である。父仁左衛門にいわせると、三人の中で一番理屈っぽい」そうだ。
 舞台は可憐で美しいが、『妹背山』の雛鳥のような小さなお姫様の印象が、この優(ひと)にはつきまとっている。根は器用で、役ののみ込みも早いそうだけれど、それが秀太郎を器用貧乏な役者にしてしまう心配もありそうだ。どことなくあわれな風情がある優(ひと)なので、『封印切』の梅川とか、『権八』の小紫や 『太十』 の初菊などは、一日も早く自分のものにしてほしいと思うし、「上方の女形芸を扇雀とともに継承してゆくのは自分のほかにはいない」くらいの気概を持ってほしいものである。
 中村松江。どこか児太郎時代の現歌右衛門に面ざしの似ているところがある。
 その舞台は楚々(そそ)として可愛いが、平常(ふだん)は意外に男っぽく、天下の大成駒(父歌右衛門)とも口げんかでは一歩もヒケをとらず、「口惜しかったら子供でも産んでみろっ!」 などとたんかを切るというから頼もしい女形だ。それでいて公式の場では、兄福助を立てて自分は常に一歩さがっているあたり、ちゃんとわきまえるべきところはわきまえている。
 大変な勉強家で、自分の舞台のない時は、いつもあちこちの芝居をみて歩いているし、世田谷の自宅から電車で通って楽屋入りし、車中本物の女性のもぐさを研究するなど、おさおさおこたりないところをみせているのがいい。正直なところ、まだ大成するものやら、しないものやらもわからない段階だが、日常歌右衛門から芸道と人間の修業を受けている、いわば「英才教育」中の女形だから、うまくいけばいずれは、という期待も確かにある。
 大谷友右衛門。父の雀右衛門の舞台の癖をそのままとり入れていた友右衛門の役々から、最近少しそれが消えた。と思ったら歌右衛門の癖が加わった。目下暗中模索といったところなのだろう。『石切梶原』の梢とか、『助六』の白玉とか、『お染の七役』の猿曳きとか控え目ながら印象に残った役もいくつかある。
 父雀右衛門は廣太郎といった子役時代、秀才の誉れ高く、戦後は映画の『佐々木小次郎』で人気者になったり、突如女形に転向して、三越劇場で海老蔵(故十一代団十郎)とやった『毛谷村』のお園で話題をまいたりした才気焼発型だが、友右衛門は、オットリ型なところが、先々大きな役者になりそうで楽しみだ。
 その弟の中村芝雀。この人も兄に似てオットリ型だ。顔がふっくらとして丸く愛橋がある。「ぼくは女形が大好き。男の役をやれといわれたりしたら困っちゃう」などと、オットリ語るところがなんともいい。
 平常(ふだん)はプラモデルと釣りが大好きで、鉄道研究会に入って機関車を追って遠征したりもするし、遠征すれば駅のベンチでゴロ寝したりもする、まことに屈託がない。こせこせした現代にあって、この鷹揚(おうよう)さは貴重だし、まさに大物候補だ。
 五代目中村時蔵。みるからに育ちのよさそうな品のいい美貌の若女形。歌舞伎のホープである。
早くに父四代目時蔵と死別したあと母の手一つで育てられてきたが、いじけもひがみもせずに伸び伸びと育って、今や父の舞台を彷彿(はうふつ)とさせるまでになった。
 母はもちろん、祖母である三代目時蔵未亡人も、叔父萬屋錦之介も嘉葎雄も早く梅枝に時蔵をつがせたいと思っていたのが、やっと六月の歌舞伎座で実現してさぞかしホッとしているだろう。
 時蔵をついでもけっしておかしくないほどこのところめっきり成長した。父が死んだ時、彼はまだ四歳だったからその思い出は淡いだろうが、客席から眺めている限り、あの薄倖の女形四代目時蔵の面影が梅枝に重なりあって、なつかしくてならない。サンシャイン劇場で海老蔵の忠信と踊った静御前にしても、名門の気位と悠揚せまらざるマイペースの精進ぶりは、梅枝の並々ならぬ大物ぶりを感じさせて、まことにたのもしかったものである。
 さて中村勘九郎。これもまたまざれもない大物である。『鏡獅子』がいけて、『船弁慶』がいけて、『連獅子』はもちろん定評があって、父勘三郎の久作で『野崎村』のお光もまた、見事にこなした。初々しくって色気とふくらみがあって、なんともいいお光だった。
 毎日、勘三郎が目を光らせていて「お光の出来が悪いと舞台で手も握り返してくれないんですよ。舞台の後ろへ引っ込む途端にカス食わされ通しだったし……」というからさぞかし緊張したことだろうが、それにしてもあの若さであの出来なら一等賞だ。演舞場で富十郎と踊り抜いた『弥生の花浅草祭』も芸術祭の新人賞をもらったりして、このところ、勘九郎株急上昇である。
『関の扉』の小町も美しかった。かつての天才少年が成長して「恐るべき青年」になったのである。
 父勘三郎よりも、どちらかというと彼の尊敬する母方の祖父、六代目菊五郎の面影が勘九郎の舞台姿にチラつくのも嬉しいことだし、彼もまた本望だろう。
 そしてもう一人、特筆すべき大物、中村児太郎。名女形芝翫の長男で毛並みのよさ、お行儀のよさは天下一品だ。女形一筋で進もうと決心して学校もやめてしまったあたり、並々ならぬものが感じられる。おっとりと品よく、優雅で美しく、いかにも名門成駒屋らしい「得がたいお姫様役者」に育つ可能性大の大物である。
 とまア……以上が「次代をになう女形」群像に対する私観だが、〝美貌の若き女形〃がこれだけ揃っている現在は、じつに華やかだし、歌舞伎ファンにとっても幸せなことだ。初心者にとってはなおさらである。だからこそ私は声を大にしていいたいのだ。初心者や外国人が歌舞伎をみる時は、迷わずに「名優」のそれよりも「若手花形」のそれを選びなさい……と。
                      (『演劇界』昭和五十六年六月増刊号)


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