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砂川・私の戦後史 №45 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

新聞報道の表と裏

                                            砂川ちよ

 こうした中で、砂川町周辺は人口増加のため、学校の生徒数は年ごとに増えて行った。中学校は前年の不足教室増築でも補いきれず、雨天体操場をべニア板で仕切り、一時しのぎの教室ですごさせるしまつであった。心あるPTA会員の要請や陳情に、さすがの議員達もあわて出した。教育委員会へもPTAの役員達が足しげくその不備を訴えに来た。
 「こうなることがわかっていたから三十五年にあれだけの教育予算を計上してもらったわけでした。あの年、あなた方さえ純粋な気拝で移築議員を説得させる事ができていれば、今ごろは第二期工事も終り第三期工事も申請ずみとなり、特別教室もかね備えたすばらしい校舎が実現していたはずです。この事は、三十五年度に切角獲得できた大きな教育予算を、大人達の不純な考え方で流してしまった時、私が公報にはっきり明記しておいたはずです。どうも、今ごろそのような不平や陳情をなさるとは、〝遅かりし由良之助〃の感があって、委員会としてはどうしようもありませんね。大人達の思慮の如何が、このように子供達の身の上旨くも悪くも降りかかってくるものであるという事がわかっていただけただけでもよかったと思いますよ」
 陳情に来るPTAの役員を見るたびに私は何度でもくりかえした。そのためか、さすがのPTA役員もあきらめて現われなくなった。
 しかし、砂川町の中学生は現実にあわれた状態におかれているのであり、それを見るにしのびず、私はあれやこれやと校長とも相談して、少しでも現状を打破することに心をくだいていた。
 教育委員会の気持などおかまいなく、砂川町町民の条件派をおどらせ、中学校を移築にもって行かせて一挙に基地拡張をたくらんで自分達のメソツを通し、当然しなければならぬ砂川町中学校校舎の防音工事を遅らせていた東京調達庁の長官、次長等要人の更迭を、ある日私は突然きかされた。
 その後、調達庁におもむいた私はその空気の異様な変り方に気づいた。局長は、
 「調達庁としても、あなたの町の中学校は、教育長さんがいわれる通り基地問題とは全く切りはなして、当然特損法でやるべきだと新長官も言っておられます。私共もあなたのおっしゃる通り、純教育的に事をはこばせたいと思います。ついては、どうかあなたの町でも、何らかの方法をこうじて一本になって来てくれませんか。教育委員会のお力を期待しています」
 まるで歎願されるようなかたちになった。私は、新しい長官や局長のわかりのよさに却ってとまどった。
 二、三年前までは近隣の町村の人口増加を他人事のようにみていた砂川町も、三十六年度ごろからはご多分にもれず都営住宅、公団住宅、果てはその附近にできる民家で人口はとみに増加していった。教育委員会事務局の出したデーターによっても、五年後は倍増のおそれがある。私は改めて教育施設の五力年計画を立案せざるを得なくなった。中学校も丁度東西の小学校区域を区域とした東西二校を設置するだけの生徒数となりそうだ。砂川町の東小学校も立川市に造成された公団住宅のため、児童数は増すばかりである。何年か後には当然小学校も二校増設という事になりそうだ。
 一方、町の教育委員も時が来て交替し、私も教育長に再選された。新しい委員長にほ、例の暁の議会の時、中立に立った正義派のS氏がなった。四年の議員生活で町民の様子、議会の雰囲気ど知りつくしている。調達庁側の低姿勢もあるので、この機を逃さず中学問題を政治的に解決すべきであることを各委員に披瀝し、新しく書きかえた学校施設五力年計画を基に、委員会はいろいろの角度から検討してみた。
 できあがったものはあまりに政治的にすぎるきらいがあって、私には不本意の点もあったが、とにかく全会一致で可決し、町長の手許に提出しておいた。

一、現中学校は、三十七年度当初予算で国の補助による予算をくみ、現校舎の鉄筋誓工事をすること。 この際、昨年 度増築した坪数も防音改築の中に入れてもらうよう調達庁に要請する。
二、三十七年度中に、町の東西に、それぞれ中学校用敷地を物色して用意すること。(但し、町予算の関係上当分は賃  貸契約とする)
三、東西二校の中学校建設については、東小学校の児童の増加を勘案しながら逐次建設にふみきること。現中学校はゆくゆく町の中央区域の児童のための小学校とする。
   東西二校の中学校敷地および建築費はいずれも町予算で計上すること。

 移築派は、国の予算百%で必ず東西二校に移築するといって大きなPRばかりしていたが、基地拡張がともなわなければ所詮は実現不可能の移築であることをおそまきながら認識してか、三十七年度予算会議の折りは特損法による現校舎鉄筋防音工事費が計上されてある教育予算が、何の紛争もなくアッと云うまに可決されてしまった。
 当日の議会予算書に、三十七年度現校舎鉄筋防音工事の予算が計上されていることをみて、例によってまた荒れ狂う議会になるだろうとかけつけた報道陣もあっけにとられて書く記事もなく右往左往していた。
 やがて両方の代表議員が新聞記者等を一室に招いたが、一体そこで何が語られたのであろうか。
 私もあっけにとられていたが、とにかく可決という事は、現場に理想の中学校鉄筋防音工事ができるという事だろうが、あれだけ悪らつに策動してきた移築派議員がどうして素直に承認したものだろうかと不思議に思ったり驚いたりしていた。しかしふとみると、町長の何ともいえない隣の表情に感無量のものがあった。

『砂川・私の戦後史』けやき出版


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