アナウンサーの独り言 №47 [雑木林の四季]
美しき若女形(わかおやま)たちに乾杯! 1
コメンテイター&キャスター 鈴木治彦
芝居に関する切り抜きばかりを集めた私の古ぼけたスクラップブックをひっくりかえし眺めていたら、昭和二十一年五月のページに東京新聞のこんな記事があった。
「東劇所感-幻想を損った小町の科白」という題で筆者は「F・パワーズ」とある。
このF・パワーズという人は終戦直後マッカーサー司令部きっての歌舞伎通として、『忠臣蔵』とか『寺子屋』とか当時司令部から禁止されていた狂言を解禁したフォービアン・パワーズ少佐のことである。先代幸四郎が『助六』を出すときくや、約三週間でその英訳を完成したり、それに続いて『勧進帳』にもとり組むなど歌舞伎に並々ならぬ愛情をみせた人だ。そして自分がみたいばかりに禁止狂言を次々に解禁したというんだから嬉しい。
そんなパワーズさんの「歌舞伎所感」だけに東京新聞に掲載されたあの当時も大いに話題になりたものである。
そのその今やすっかり色が変わっている切り抜きには「六歌仙」を評してこうあった。
「……しかし業平と小町の濡場、黒主と小町の場は宗十郎がワヤにしている。宗十郎は立派な役者だが、今度小野小町の役をつとめている彼は桟敷からみても甚だ醜いので小町という官女の美しさの幻想がすべて損われてしまう。宗十郎の声も小町の色っぽい役には、はまっていない。かつてこの役を演じた芝翫が即時宗十郎に替った方がよい。
何故なら芝翫の美しさ若さがこの役には絶対必要だからだ。
私は立見席に青年や学生が沢山いるのに気付いたが正にこういう点(宗十郎が無理に若い女の役を演じること)が歌舞伎と青年の問を引き離すものであることを感じた。
アメリカでもモードアダムスが年老いて肥って来たときにシェクスピアの『ヴェニスの商人』のポーシャの役を演じたが、私の知っている青年の多くは当然せめられるべきモードアダムスの代りにシェクスピアを激しく悪評した。
歌舞伎の前途は極めてデリケートであるからこの種の批判を受けるようなことは避けるべきであろう」(原文のまま)
パワーズ少佐の文中、宗十郎とあるのはもちろん先々代宗十郎(現宗十郎の祖父)で芝翫とあるのは現歌右衛門のことである。
この一文を読んで、当時慶応の中等部三年だった私は思わず快哉を叫んだものだ。まさにかねがね私が心で思っていて、口に出せなかったことをズバリ活字で表現してくれたからである。父が無類の芝居好きだった関係で、小さい頃から楽屋へ出入りしたり、なんとなく芝居をみる機会の多かった私だが、老名優の演ずる無理な配役には、しばしば疑問を感じていた。
「なぜこの役をこの優(ひと)がやらなきゃいけないんだろう」
「もっと適任の人がいるのになア」
「どうみたって美しくないよ」
「可愛くもないよ」
「これが歌舞伎のよさなのかなア」
「これを美しいって感じないのは、僕が歌舞伎をよくわからないからだろうか」
時には年老いたお姫様にへキエキさせられたこともあった。でも、それを口に出してはいえなかったのだ。なまじっか歌舞伎の世界に裏から首を突っ込んでいたばかりに、そんなことを口にしたり文章に書いたりしたら、テンから馬鹿にされてしまうだろうと思ったからである。
だからこのパワーズ少佐の一文を読んだ時の〝我が意を得たり〃といった喜びようはなかった。
「やっぱりそうだ」「そう思ってくれる人がいた」「パワーズさんのいう通りだ」もう嬉しくて嬉しくて何度も何度もこの文章を読みかえしたことをつい昨日のように思い出す。
当時、私が「老優の無理な配役」と思っていたのは立役や二枚目についても時々はあったが、そのほとんどは女形についてであった。
「こんなのが歌舞伎だとすると、われわれ若いモンはとても嘘くさくてついてゆけなくなるな」
「楽しさのない歌舞伎なんて……」
「美しさのない女形なんて……」
と心のうちはまさに灰色だったのだ。
「もちろん、その後十年、二十年と歌舞伎をみ続けていくうちに、名優の演ずる若い役はそれなりに深味もあり味もあり、若手のそれと違って演技的にもすばらしいということがよーくわかってきたけれど、それがわかるまでに芝居好きの私でもずいぶん時間がかかっている。だから、ましてこれから歌舞伎をみようという若い人や外国人にとってはなおさらだろう。
初心者に「無理な配役の歌舞伎」を押しっけることは、一発で幻滅感を与えることにもなりかねない。だから私は初心者には若手歌舞伎をみるよういつもすすめている。外国人や初心者は若くて美しい若手花形の舞台をこそみるべきで、功成り名とげた名優の舞台はずーっとたってからみればいいというのが私の持論である。
同じ『野崎村』なら勘三郎のお光より勘九郎のお光をすすめるし、同じ『道成寺』なら梅幸よりも菊五郎のそれを初心者にはすすめるだろう。美しい女形の舞台をみて歌舞伎に魅力を感じてもらうことが、将来の歌舞伎人口を増やすことにつながると思うからである。
私も戦後「老衰した歌舞伎」に暗たんたる気持ちでいたところ、松竹の思いきった若手起用による海老蔵の助六、芝翫と梅幸の揚巻などをみて、それこそカラリと晴れた青空をのぞむようなスカッとした気分にさせられたものだ。あれによって歌舞伎に対する希望も湧いたし、夢もいっぱいになった。その後も東劇や歌舞伎座の幸四郎(先代)、宗十郎(先々代)、菊五郎(六代目)、吉右衛門(初代)の名優歌舞伎よりも三越劇場へせっせと通っては、若手のきれいな舞台に拍手を贈り続けたのである。
『アナウンサーの独り言』光風堂出版
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