アナウンサーの独り言 №45 [雑木林の四季]
なんともいじらしい・私の玉三郎
コメンテイター&キャスター 鈴木治彦
ただただかぼそくてひ弱な感じだった少年が、目をみはるような美しさをみせはじめたのは、昭和四十五年の、市川海老蔵とコンビを組んだいわゆるエビタマコンビの頃からだ。そのおりにみせてくれた『鳥辺山心中(とりべやましんじゆう)』のお染、『鳴神(なるかみ)』の雲の絶間姫、いずれも水ぎわ立っていた。
おとなの女形の芸の出来る人が出現した、これは面白くなるぞ、という予感があった。あの年代でお姫さまをやって初々しく可憐なのはあたりまえで、年をとってからまたお姫さまをやると、こんどはなんともいえない色香が出るのが歌舞伎の不思議なところだ。しかし玉三郎の場合、そのよくてあたりまえのお姫さまより、遊女とか毒婦とか芸者の役、お姫さまなら絶間姫のように色じかけで鳴神上人の心を蕩(とろか)し、破戒させてしまうような妖艶な役など、むしろ自分の地に近くない役のほうがいいというところが面白い。
私は『お染の七役(ななやく)』の土手のお六のゆすりの場とか『名月八幡祭』の美代吉のように、あだっぽい、そして色っぽい役を演じた玉三郎が好きだ。ただ、伝法な役を演じても、そこにそこはかとない陰がただようのが玉三郎だ。そこがたまらない魅力になっている。
たまらないといえば、もう一つ、こちらはうって変わって、運命のいたずらにもてあそばれるようなはかない女の役だが、『暗闇の丑松』のお米もすばらしかった。その時は大々先輩の尾上松緑が丑松をやり、相手役に玉三郎が抜擢されたのだが、なんともいじらしく、男にとってはあこがれの女という感じだった。
玉三郎には男がなにかこう、手をさしのべてやりたくなるような可憐さ、もろさを感じさせるところがある。たとえば『恋飛脚大和往来』の梅川など、みているほうが思わず冷たい梅川の手をとってあたためてやりたくなってしまう。養父の守田勘弥亡きあとも、この世界でこれだけりっばにやっていけるのだから、ほんとうはしんは強いのだろうが、ふと男をそんな気持ちにさせてしまうものを備えている。まったく得がたい女形だ。
二月に新橋演舞場で演(や)った『京鹿子娘道成寺』などは、玉三郎の人気でわきかえるほどだった。とにかく幕があいて花道から玉三郎が姿をあらわすと、途端に客席からどよめきが起こり、そのあとも衣装を変えるたびに、そのつどどよめきが起こるのだから驚いた。そればかりではなく、玉三郎の一挙手一投足に皆がみとれているという感じで、玉三郎がちょっとしなをつくって小首を曲げたりすると、わっ、可愛い、と歓声があがる。また体をしなわせてそったりすれば、わっ、だいじょうぶかしら、という心配の声があがったりして、まあ近頃ちょっとみられない現象に圧倒された。
また、色気があるといわれているが、これなど意識して出せるものではない。体をくねくねさせてしなをつくったからといって、まねられるものでもない。玉三郎自身も色気があるなどといわれても、自分ではなぜなのかわからないのではないだろうか。
今回のデスデモーナも、赤毛物はあまり好きではないのだが、玉三郎ならなにか面白いものをみせてくれるのではないかという期待で開演の日が待たれる。とくに仕事柄、声に関心が深いせいか、前回のマクベス夫人で地のままの男の声だったのを、今回の清純な役では、どういう声を出すのだろうかと楽しみである。
(『主婦の友』昭和五十二年四月号)
『アナウンサーの独り言』光風堂出版
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