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アナウンサーの独り言 №44 [雑木林の四季]

ミスター・カブキ 猿之助の魅力

                         コメンテイター&キャスター  鈴木治彦

 「私はネ。夢で芝居のヒントを得ることがあるんですよ。夢でみちゃうんです。梅田コマでやった『ザ・カブキ』のアイデアも夢からヒントを得たんですから。夢って朝までとっとくと忘れちゃうでしょ。だから〝これを覚えとかなくちゃなんない〃って思うと夜中でもガバッと起きてすぐ書いとくんですよ」
 いかにも猿之助らしい話ではないか。いつも芝居のことが頭から離れず、なんとなく本を読んでいても、ほかの人の芝居をみていても、映画やテレビをみていても、そのなかからなにかしらヒントをみつけ、次の自分の芝居へのアイデアにふくらませてゆくのだということはかねがね聞いてもいたが、夢からもヒントを得ることがあるとは知らなかった。
 「根っから芝居が好きなんですネエ。だから年がら年中、芝居に振りまわされても、ちっとも苦になりません。むしろ楽しいんですよ。私の場合、芝居が一種のストレス解消にもなってるんですよ」
 なんとも嬉しい人である。
 これほど、芝居が好きで好きでたまらないからこそ、周囲の立てた企画ではあきたらず、次々と自分のアイデアの実現に情熱を燃やすことが出来るのだろう。現在の歌舞伎俳優のなかでプロデューサーと演出家と主役を同時にこなせるのは、猿之助一人といってもいいと思う。
「歌舞伎が一番、プロデューサー的なことや演出上のことがわからないと出来ないものなんですよ。ほかの芝居の場合、たとえば新派でも新劇でも宝塚でも、みんなそれぞれが確立されてますけど、歌舞伎の場合は、座がしらがそれを兼ねてやらなきゃなりませんから……」
 そう思って猿之助は慶応中等部の頃から演劇部に籍をおいて、いつも脚本を書いたり演出したり、もっぱら陰の仕事を重点的に勉強したのだという。
 「子供の頃から頭を突っ込んで、いろいろ研究してるうちに〝歌舞伎〃が一番面白くなってきちゃったんです。役者でいながらプロデュースや演出も出来るのは〝歌舞伎〃だけですもの。歌舞伎だけは昔からいろんなものを兼ねてたわけですよ。それがわかるにつれて面白くなっちゃった。そして祖父(猿翁)や父(先代段四郎)が死んで、自立しなくちゃならなくなって、自然に今みたいに〝お客さまが来て下さる芝居を考えよう〃 ってことになってきたんです」
 その結果が御存知の通りの〝猿之助ブーム〃なのである。猿之助の芝居によって、それまで歌舞伎に見向きもしなかった層が劇場へ足を運ぶようになった。「歌舞伎は長いし、つまらないし、退屈で、よくわからない」と敬遠していた層が、積極的に自分で金を払ってみにくるようになった。「歌舞伎って面白いし魅力的」という若い人が目にみえて増えはじめた。
 これはみんなみんな、〝お客を喜ばすにはどうすればいいか″ということを常に考え続けている猿之助の努力のたまものなのである。猿之助の芝居の魅力は、なんといっても彼のこの 「努力」プラス「熱」と「意欲」、そしてもう一つ「わかりやすさ」だ。
 昭和四十一年に東横劇場で第一回の公演をした『春秋会』という名の研究芝居で、次々と『太平記忠臣講釈』や『金門五三桐(きんもんごさんのきり)』や『金幣猿島都(きんのざいさるじまだいり)』や『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)の上の巻』やそれから沢潟(おもだか)十種の『武悪(ぶあく)』や『釣狐』(つりぎつね)などといった、めずらしい狂言を発掘したのもその精神のあらわれだし、〝早がわり〟や〝宙乗り〟や、また映画との連携(サンシャイン劇場)も、みんなそうだ。
 立役者、荒事はもちろんのこと、女形にも挑戦したし、自分の家の物でない『鏡獅子』も九代目団十郎系の『熊谷陣屋』もみせてくれた。そうかと思うと『伊達の十役』で早がわりの集大成をみせたり、『四谷怪談』と『忠臣蔵』を一つにして通しでみせたり、『奥州安達原』や『源平布引瀧』の通しでは映画の実景場面とつないで歌舞伎を演ずるという初の試みを成功させ、とくに『安達原』では芸術祭優秀賞を受賞したりと、まことにその活躍はめざましい。
 どの芝居をみても、猿之助が「わかりやすさ」をモットーにしていることがこっちに伝わってくるのが嬉しいし、それが初心者の若い人たちにも歓迎される大きな要因だろう。〝どうやったらお客さんに楽しんでもらえるだろうか〟ということを、台本の上でも演出の面でも、くり返しディスカッションして練り上げてから舞台(いた)にのせるから、じつにわかりやすいし、とっつきやすいのである。事実、猿之助歌舞伎の客席には若い人がたくさんつめかけているし、とくに『四の切(しのりき)』(『義経千本桜』四段目の切り。川連法眼館の場)の忠信が出ると、三階席は若いファンで真っ先に埋まるというのも、ほかの歌舞伎俳優の「座にはちょっとみられない現象だと思う。
 「春秋会も私にとっては大変プラスになりましたし、それと昭和四十年頃、九州へ巡業ではじめて座がしらとして行って『四の切』をやった時に、舞台と客席が一つにとけ合ってワーツと盛り上がったのを肌に感じましてネエ。その後五年ぐらい、九州公演をやるたびにお客様の反応とかをみて、出し物を選ぶ時にも考えるようになりました。自分のやっていることが間違ってないんだという自信を得たのは、アメリカ、ヨーロッパ公演に行ってからですネ。外国のお客様って本物のお客様で、正直にそのものをみてくれます。日本人だと昔からのいい伝えだの型だのといったものに左右されて、自分だけの目で歌舞伎をみることが出来ない。その点、外国のお客様は違います。白紙の状態でみて下さって、いくら権威のある役者でも悪けりや悪い。若手でもよければ惜しみなく拍手を贈って下さる。だからむしろ外国人の目の方が我々にとってきびしくこわいんです。つまんないって思ったら席を立っちゃいますからネ。でもこわいけれど演ってて楽しいです。演(や)ってて〃どういうところが歌舞伎の喜ばれるところか、また、退屈させるところか〃ってことがじっによくわかります。その点、いまの日本の若いかたの歌舞伎の見方も外人の見方と変わりないんで、自信を持って外国で演(や)った時のことを考えながら演(や)っているんですよ」
 猿之助のこの自信は、これからの若い歌舞伎ファンを増やしてゆく上で、まことに心強い限りだ。そして一部でいまだに「ケレンだ」とか「正統な歌舞伎じゃない」とか「安っぽい」とかいわれながらも、そんなことは意にも介さず、己が道をゆく猿之助はじつにりっばだと思う。
 そしてアイデアマン猿之助の面目躍如、魅力横溢の出し物『ザ・カブキ』もPARTⅡの上演によって、梅田コマの名物になりつつある。今まで、何十年も歌舞伎をみ続けてきた者にとっても、この『ザ・カブキ』は随所に新たな発見があって、まことに楽しいものだし、初心者のかたにとっては、またとない「歌舞伎入門書」といっていいだろう。
 最近、猿之助の歌舞伎の面白さに魅せられた初心者が、はかの正統(?)歌舞伎へも興味を示して劇場へ出かけてゆくことが多い。その数の多さをみるにつけ、猿之助が歌舞伎に対して果たしている役割の大きさを考えずにはいられない。
 まさに〃歌舞伎の初心者を歌舞伎に引き寄せる〃真のパイオニアであるミスター・カブキ、猿之助は、体の続く限り、自信を持って今の行き方で進むことだ。
 (梅田コマ劇場・プログラム 昭和五十五年十一月)

『アナウンサーの独り言』光風堂出版


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