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詞集たいまつ №19 [雑木林の四季]

めぶく章

                                 ジャーナリスト  むのたけじ 

(1891) 「情報の洪水」なんて、人間が人間をコケにしている現象だ。人間は自身の一切に限度をもつ、そういう生きものではない。情報にしても、多ければそれだけ役に立つ性質ではない。量より質である。悪質の情報を一〇個かさねても、良質の情報二個に及ばない。情報に対する主体とは、情報の質を識別する自分の物差しのことだ。それを持たないで情報を受け入れ続けたら、自然の洪水に呑まれると同じ結果になる。

(1892) ニセ札は、いくら本物そっくりでも、通貨にはならない。悪貨はいくら気張っても、良貨のつとめは出来ない。悪貨に駆逐される良貨は、実は良貨の偽物である。それの存在すること自体で悪貨を駆逐するもの、それが良貨の本物である。

(1893)  日本国憲法第九条は、人類の最低限綱領である。人類が、類人猿としてでなく自称するホモ・サピエンス(知性人)として自分を存続させたいならば。民衆は昔から「持ったら使え。使わないなら持つな」と戒め合った。憲法にしたって、大事に持っているためのものではない。使用するためのものだ。社会の汚濁をごしごしとぬぐい清める雑巾として使え。もしも掛軸か絹ハンケチのように扱ったら、必ず虫に食われてだめになる。

(1894) 平和憲法の最後の敵は、軍国の復活を叫んで平和条項の廃棄を求める勢力ではない。あくまで憲法の精神を重んじて」「あくまで憲法の枠内で」とあくまで優しい声で語りながら、憲法の骨を抜く事実を積み重ねていく勢力である。彼らにとって、平和憲法をそのままにして、既成事実の引力でその国家を戦争に引きずり込むたくらみは、最小の資本投下で最大の利益を得る経済行為であり、同時に、たまらないスリルを伴ったゲームでもある。

(1895) 彼らは我らを許さない。我らは彼らを許さない。彼らの真昼間(まつぴるま)は我らの真夜中。彼らの祝杯は我らの鋤鍬(すきくわ)。彼らの夕闇は我らの朝風。彼らの失意は我らの勇気。彼らの勇気もまた我らの勇気。彼らは我らを許さない。我らは彼らを許さない。

『詞集たいまつⅣ』評論社


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