上農は草を見ずして草を取る~農に見る人生の極意 №11 [ふるさと立川・多摩・武蔵]
農業の厳しさ
語り 立川市民俗の会 豊泉喜一 聞き書き 日本聞き書きボランテイア協議会・多摩 大家美良
野良仕事のおやつ
今ごろの時期ですと里芋、里芋と木の芽あえです、サンショを混ぜた田楽味噌で。秋から二月ころまではさつま芋でね。三月に入ってさつま芋を苗床に入れちゃうとさつま芋がなくなるから里芋なんです。里芋が終わるとその後は焼き餅、小麦粉に残りご飯を混ぜて練ったものを油で焼くんです。子どもが喜ぶんですよ。その前にジャガイモがとれるとジャガイモのときがあります。
秋のさつま芋ができるまでそういうもので繋いでいるんです。
農作業はとにかく腹がへるわけだ、重労働だから。お昼を食って夜までとてももたないんです。それでその間に食べるんです。
お昼前にも食べたからね、今どき朝と昼の間に食べるなんてことあまりないでしょ。まあ朝早かったということもあったのかな、六時ころにはみんな畑に出ていましたからね。朝作りといって朝仕事をしてきて、その後朝食を食べるということもあったようですね。お昼までの時間も長いからどうしても食べないともたなかったですね。 、
勤勉でよく働きましたよね。それが当たり前のことでしたから。
つんのめるような思いの農繁期
この辺の百姓は昔から、一町歩も二町歩も親子三、四人でやってきたわけですよ、朝から晩まで一生懸命同じような作業を。疲れたとか腰が痛いとかは二の次になるんですね。収穫がなかったら一家が食っていかれるか、いかれないかの瀬戸際でやってきたから。音を上げているわけにいかないんですね、百姓の仕事は。
たとえば明日雨が降るといったら、状況によっては夜なべしてでも麦刈りしちやわなければならないからね。
じゃあ雨の日休みかというと、天気のいい日に収穫しておいたものを小型脱穀機で納屋など屋内で脱穀作業をやるんですよ。
その間に蚕を飼うでしょ、もう死に物狂いなんですよ、農繁期には毎日が。疲れたと言ってみても何の足しにもならないことが分かっているんです。
私の親父がよく言ってました。農繁期になると赤い小便が出ると、それも汗でほとんど水分が出ちゃうんで一日一、二回しか出ないと。
つんのめるような思いで、そんな状態でいつもやっていたんだと言っておりました。
最近過労死ということをよく聞きますが、あの時分の百姓は今みればみんな過労死で倒れているなあと思うんですよ。今はストレスやいろいろな要因が重なっているようですが。人間がそれだけ弱くなっちゃったんですかね。
飯は箸に醤油をつけて食え
親の時代は食べ物でも麦飯に味噌汁にたくあん、そんなもんで今の何倍も重労働やっていたんですね。ところが今は逆ですね、その頃の何倍もの栄養をとっていてそれでろくさっぽ働かないんだから、弱くなるのが当たり前だなあと思うんですよ。労働の質も変わってきておりますけどね。だが人間が生きるのに必要なエネルギーの何倍も摂取しているのも確かなことですね。余計に、無駄に食べているんです、明らかに。
私の親父が九十四歳、母親が九十八歳で亡くなりましたけどそんなに贅沢なものを食べて長生きをしたんではないと思います。むしろろくなもの食わないで朝から晩まで一生懸命働いて休む間も惜しんで体動かしていたんだから、いま流に考えたら長生きできなくて普通ですよ。
笑い話みたいで信じがたい話なんだけど、使用人には働くんだから飯はうんと食えという、だけどおかずはあまり出さないで醤油を薄い皿に入れてそれを出すというんですよ。箸に醤油をつけて飯を食えというんですね、それも箸をねかす(傾ける)なと。箸をねかせるとうんと醤油がついてしまうからね。それも薄い皿に浅く入れた醤油をだよ。
まあこれはちょっとひどい話で誇張があると思うが、働いている時も当時の食生活は粗末なものだったことをうかがい知るには格好な話だよね。
仕事でも似たような話があるんです。小型脱穀機が出てきたときから、夜なべ仕事に脱穀をして眠くなったら麦藁の上で寝て、目が覚めたらまた仕事をしていたというんです。真偽はともかくそれほど働いていたのは確かだね。
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