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the SOUND of Oldies in TACHIKAWA №1 [アーカイブ]

立川っ子純情①
                                             鈴木 武
呼び出し音が鳴ってる途中で誰に電話をかけたんだか忘れちまう。
風呂場で、子どもに尋ねる。「おとう頭洗ったっけ?」
新しいことはすぐに忘れちまうのにガキの頃の何の役にも立たぬ、くだらねえことはなぜか憶えてんだよな。
おそらく俺より五つくらい先輩から五つくらい後輩までにしかわかんねえ立川の話・・・
 
立川市内雑観.jpg今では全国でも屈指の乗降客で賑わう立川駅だけど、俺がガキの頃は夜九時ともなりゃ人影もまばらだった。現在のような高架にはなっておらず、暗くじめじめした地下通路が各線のホームにつながってて、そこには蛍光灯を内蔵した箱型の地元店舗の広告が並び、玉切れ寸前で点滅する様が地方都市っぽい雰囲気を醸し出してた。しかも南北に自由に通過はできなくてさ、反対側に抜けるには入場券を買わなきゃならず、不便この上なかったな。
そんな立川も、少なくとも青梅線沿線や村山、東大和方面の人たちにとっちゃあ最寄の都会で、今みてえに郊外型の大型店舗なんてねえ時代だから、ビッグな買い物をするときゃ家族でおしゃれして立川に繰り出し、お昼はデパートの食堂に入る、なんてのがお決まりのコースだったんだろうな。砂川の諸先輩方は未だに駅周辺に来る時は「立川に行って来る」と言うらしい。ちなみに俺の先輩のお父上は都内に出る時「東京に行って来る」って言ってるぜ。               立川駅雑踏.jpg 
ただし、市外の人たちから見りゃ立川=北口でさ、南口なんか眼中になかったんじゃねえかな。一般的に北口を栄えてる方、南口を栄えてない方なんて表現してたもんな。馬場の方、猪木の方みてえなもんだよ。北口が栄えてるって呼ばれてたのは南口には無いデパートがあったからだけっつう気もするがな。
 

Photo (C) Tachikawa City Historical Folk Museum/
          Tachikawa Printing Factory.All Rights Reserved

 写真は昭和54年頃の立川駅前と駅構内の地下道


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