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浅草風土記 №26 [文芸美術の森]

浅草田原町 1
         作家・俳人  久保田万太郎
     
                     一

「田原町一丁目、二丁目、三丁目。――三丁目の大通りに出ると電車が通っています。広小路の広い往来で、雷門当たりの、宿屋、牛屋、天婦羅屋、小料理屋がわずか一丁ばかりの間に、呉服屋、鰹節屋、鼈甲屋、小間物問屋といったような土蔵づくりの、暖簾をかけた、古い店舗(みせ)になってならびます。その反対の側は、砂糖屋、漬物屋、糸屋、薬種屋、といったような同じく古い店舗がいろいろ並んでいます。少し行くと俸屋があって、大きな八百屋があって、そのききへ行くといつも表の格子を閉めた菓子屋があります。
 落語によく出る『やっこ』という鰻屋と、築地本願寺御用という札をかけた、吉見屋という仕出屋があります。町は違いますが、その並びに有名な本屋の浅倉屋があります。
 本願寺の大きな屋根が、大通りのつきあたりに遠くそそり立っています。雷門のあたりから見ると、電車の柱のかげに、ちょうど中空に霞んでなつかしく見栄ますが、そばに行くと、その破風の白い色が、青く晴れた空にいい知れぬさびしさを添えています。
 十月、十一月。―― 冬になると みちの両側に植えられた柳が日一日と枯れていきます。で、だんだん空か、くらく、時雨れるような気合をもって来ます。
 横町かたくさんにあります。
 大通から、ヒト足、横町に入ると、研(とぎ)犀だの、駄菓子屋だの、髷入屋だの、道具屋だの、そうでなければ、床屋だの、米雇だの、俥屋だの、西洋洗擢屋だの、そういったような店ばかり並んでいます。
 二、三軒、近所にかたまって大工の棟梁のうちがあります.
 ――その間に小さな質屋かあります。紺の気の抜けた、ねぼけた色の半暖簾が、格子のまえにかかっています′
 どこの土蔵の壁も汚れています。しかしどの横町にもその汚れた壁か何よりもさきに目につきます。――雲った日はその壁の色か暗くみえます。晴れた日にはその壁のいろがあかるくみえます。
 雪が一度ふると、土蔵の裾によせて掻いておく雪が、いつまでも解けずに囲まって残ります。
 空のよく晴れた、日の色の濃い日は.かえって横町はさびしい光景(けしき)をみせます。
 わたしは冬のことばかり書きます。l
 一軒の質屋は立ち行かないので、片手間に小切屋(こぎれや)をはじめました。格子を半分外してそこに見世をこしらえ、軒さきに綺麗な刺繍をした半襟だの、お召や銘仙の前かけの材料だのを、いちいち下げるようになりました。
 角には仕立屋があります。――窓に簾(すだれ)をかけ、なかに五六人の弟子かいつもせっせと手をうごかしています。
 いまはなくなりましたが.以前その二、三軒さきに小川学校という代用小学校がありまし。――その通りには、両側に、ずっと古着屋ばかり並んでいます。汚い暖簾と、軒さきにつるした古着とで真っ暗な見世の中から、あま若い番頭や小僧が往来の人をたえず呼びこんています。
 古着屋の番頭や小僧といえば.人を喰ったもの、口の均わるいものと近所ではきめています。――古着屋というと堅いうちでは毛虫のように嫌います。
 横町には、また、細々した路地かたくさんあります。見世物の木戸番、活動写真の技師、仕事師、夜見世の道具屋、袋物の職人、安桂庵(けいあん)。――そういったものがいろいろとその路地の中に暮らしています.
 横町に古くいた常磐津(ときわず)のお師匠さんで、貰ったむすめの悪かったばかりに、住み馴れたうちを人手にわたし、いまでは見るかげもないさまになって、どこかの路地に引っ込みました。――が、ときどきなお、近所の洗湯に、よぼよぼ行くすかたがみえます。
 ある路地のなかには真間(まま)という代用学校が残っています。

『浅草風土記』 中公文庫


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