妖精の系譜 №68 [文芸美術の森]
アイルランド妖精伝承の蒐集と保存 3
妖精美術館館長 井村君江
生き続ける妖精
しかし、時代を重ね所が変わり、人々に語り伝えられていくうちに、話が千変万化していくため、妖精について簡単な定義を下すことは非常に難しいことがわかる。このことは例をこの「バンシー」一つにとってみても、容易に肯けよう。例えば一番古い直接報告は十七世紀の『ファンショー夫人の回想録』で、それはファンショー夫人が親類のオナー・オブライエンの古い屋敷に滞在した夜の出来事である。――夜の一時ごろ、夫人は人の声でハッと驚いて目を覚ましカーテンを開けてみると、「窓辺に白い服を着て髪の赤い幽霊のような蒼ざめた顔の女が、窓に身をのりだしているのが月の光で見え、耳にしたこともないような声で三度『馬』と言ってから、風のような溜息をついて消えたが、身体は濃い雲のようだった」という。明け方の五時に夫人が来て、この家の主人オブライエンが死んだと告げたので女を見たことを話すと、その女は家の者が誰か死にかけると、毎夜窓辺に現われることになっているが、「ずっと以前にこの家の主人の子を宿し、裏庭で殺され窓の下の川に投げ込まれた女である」と答えたという話である。
これから約二百年のちにワイルド夫人が記しているバンシーは、「若くして死んだその家の娘で、美しい声で歌い親族の死を告げ知らせるか、経惟子(きょうかたびら)に身を包んだ女となって木の下にうずくまり、顔をヴェールで被って嘆くか、月の光をよぎって飛びながら泣く」若い乙女の姿になっており、動作も詩的に美化されている。プリッグズはスコットランド高地地方のバンシーは、鼻の穴が一つ、前歯が出ており、乳房はだらりと垂れ下がっていると、まったく正反対の醜い姿を記している。バンシーは一般に死ぬ人の経惟子を洗うといわれるのに、キャンベルによれば「産褥で死んだ女が、洗濯し残した自分の衣類を洗う」のだという。このように姿や動作もさまざまで、十九世紀のトドハンターは「一ヤードの白髪をなびかせ、灰色の外套と緑の上衣を着て家のまわりを泣きながら小川に消えた」と記すし、クローカーは十八世紀のマッカーシー家のバンシーは、「背の高い髪の長い女で、手を打ちならしながら死者のいる家に案内する」と言っている。「一人でなく何人ものバンシーが声を揃えて泣き歌うときは、聖者か偉人が死ぬとき」と、イエイツは群れて嘆くバンシーの泣き声を記している。こうした言い伝えがさまざまに各時代、各地方に伝わってお。、それらを集めてゆけばゆくほど、かえってこの妖精の輪郭が不明になってくるはどである。
こうした性質をみせているバンシーに共通している属性をみると、
(1)女の姿をした妖精で、
(2)由緒ある旧家に付き、
(3)現われて家人の死を予告し、
(4)死ぬ運命にある人のために泣く、
ということである。
各時代、各地方の人々の考え方によって、これにいろいろな変化が加えられていくわけである。「流れで経惟子を洗う」とか「手を叩く」とか「馬と言う」といった動作である。先に掲げたオナー・オブライエン家のバンシーは、その家の主人に殺された女性が、死後に幽界から現われてその家人の死を予告し嘆き悲しむわけであるが、これは城主に殺害された馬屋番の少年が、死後ブラウニーとなって家事の手伝いをするという「ヒルトンの血無し童子」や、ロバの姿のプーカになってその家の台所で働くキルディアのH・R家の死んだ召使いなどと類似した存在であろう。この世とあの世の中間の中つ国に住み、幽界にさ迷う霊魂と関わりをもつ妖精に、死んだ人間は関係を持ちやすい。だがバンシーはすべてこうした現実に生きていた人間が、死後に幽霊となって現われてくる存在であるとは言い難いようである。
死を予告するとなれば不吉な存在であり、その出現に戦慄を感じ、これを排除し否定したいと思うのは当然で、そこからバンシーの容姿を奇型とまでいえるような醜い姿にしていった必然は肯ける(スコットランドに多い)。これに反して家に付いているというところから、遠い祖先のなかの若くして死んだ乙女の姿を想像し、できるだけ美しいものに転化させていくという推移もまた肯けるのである(アイルランドに多い)。また一般に恐ろしい不吉な存在を、その力を怖れるが故に、自分に都合のよいものに逆転させてしまおうとする人間の意志の働きによって、この不吉なバンシーも掴まえれば三つの願い事を叶えてくれるとか、垂れている乳を吸えば保護者になって願い事を叶えてくれるとか信じられてくる。
レジナルド・スコットが『悪魔学と魔術』の中で、高地地方のバンシーは家長の幼年期には揺り龍の番をしたり、チェスの駒の動かし方を教えたり、人間によいことをすると書いていることからプリッグズはバンシーを不吉な悪の妖精ではなく、守護妖精の分類のなかに入れるべきだと言っている。このように「バンシー」一つ辿ってみても、妖精の概念というものは、長い時代にさまざまな地方の人々によって形成されていく重層的なものであることがわかる。
U・C・Dの帰りマラバイド城まで乗ったタクシーの運転手に、このバンシーとレプラホーンについて尋ねてみると、詩人の耳にしかキーニングは聞こえないようで、バンシーには興味を示さなかったが、「レプラホーンの方は掴まえて地下の財宝を白状させ、金持ちになりたいので探しているがなかなか難しい、頭にのせると妖精が見える四つ葉のクローバーもみつからないし」という答えが返ってきた。
レプラホーンはアイルランドでは富と財産をもたらす福の神か大黒さまのような存在らしく、こうした理由からか、人々はいちばん新しい存在として妖精全体を代表させる呼び名としても使っているようである。緑の服に赤い三角帽子、手に金の袋をかかえた(いつの間にか金槌はどこかに置き忘れてしまったようである)さまざまな大きさの人形が売られており、日本の大黒さまのお守りのようになって小さい携帯用の人形も店頭に並んでいるし、車のフロントにも下っている。バンシーは人間のまぬがれぬ死という運命と関係し、レプラホーンはこの世の幸運に関係を持つ――この二つの妖精が人間の死と生の根元的なところに関わりながら、確かに今日までアイルランドの人々の心のなかで、連綿と生き続けているようである。
『妖精の系譜』 新書館
『妖精の系譜』 新書館
2024-02-14 14:50
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