SSブログ

妖精の系譜 №66 [文芸美術の森]

アイルランド妖精伝承の蒐集と保存 1

      妖精美術館館長  井村君江

伝承物語の宝庫

 キャサリン・プリッグズの『妖精事典』に言及のあるゲール語の固有名詞や特別なアイルランドの妖精を調べるために、ユニヴァーシティ・カレッジ・ダブリン(U・C・D)を訪れたときのことである。その際、民俗学科のシエイマス・オーカーバン教授の丁重な案内と説明によって、同研究所の世界的に名高い伝承物語のコレクションを見る機会を得たことは幸いであった。この「伝承物語蒐集記録保存棚」は、初め王立ダブリン協会の管理下にあったが、「九七一年にこのU・C,Dの民俗学科の一室に移されている。アイルランド各地方の民間に昔から伝わる口承物語をゲール語やアイルランド語で記憶し請じている語り手から、蒐集家が一定のノートに記録し、それを分類、整理し保管したもので、今日までその仕事は連綿と続けられている。
 採集巻数は一九七九年現在で、一八八二巻、頁にするとおおよそ九〇万頁に及ぶという彪大な量である。濃紺の皮装の記録書が整然と並ぶいくつもの棚を前にして、いかに多くの民話がアイルランドには伝わっているか、いかにアイルランドの人々がこうした自分の国の民話を大切にし誇りにしているか、その民族の遺産に対する誠意と情熱とを、羨望の念を覚えつつ、目前に見る思いがあった。確かにアイルランドは伝承物語の宝庫である。
 これら蒐集された民話は、大きく四つに分類されている。
 (1)はシャナヒー(Seanehaithe)と呼ばれる物語話者、日本の語り部に当たる語り手たちをアルファベット順に分類したもので、その数は約四万人にのぼるそうである。一人のシャナヒーは多くの話を諳(そらん)じており、例えば南西部の島ブラスケットに住んでいたペイグ・セイヤーズ (一八七三-一九五八)という老女などは、約三七五の話を語って聞かせたといわれ、こうした老女を囲んで泥炭の赤く燃える炉端で、アイルランドの人々はその昔の物語に耳を傾ける慣わしがあった。
 (2)はバリホリー(Bailitheoiri)と呼ばれる採集者別の分類で、イエイツはもちろん、クロフトン・クローカーやダグラス・ハイド、ウィリアム・カールトン、サミュエル・ラヴァー、それにその日も研究所の一室で元気に仕事をされていたジョン・オサリヴァン教授などの有名な民俗学者から、無名の採集員にまでわたる。採集者の叙述の仕方によって話の型が微妙に変形するので、その名と年月日を明記して登録しておくことが必要である、とのことであった。
 (3)は採集した場所を地方、州、郡、村とアイルランドの三十二地方をさらに細分して、それぞれの話と土地との結びつきを明確にした分類である。
(4)は項目別分類である。大きくは十四項目、それがさらに細かい項目別に何千というカードに分類されており、その引き出しを開けたときには気が遠くなる思いであった。
 この民族学研究所で出している伝承物語蒐集の応募要項パンフレットの「フェアリー」の項を見てみると、その名前、起源、容姿、住居、性質からフェアリーの遊び、音楽、歌、それにフェアリーが人間に仕掛ける艮い事や悪い事、フェアリーに連れて行かれた話、贈り物、「チェンジリング」、「フェアリー・ダート」や「フェアリー・ピンチング」に至るまで、こと細かく書かれている。そしてフェアリーにまつわる事として、貴方の住んでいる地方に伝わっている話や事柄を知っていたら書き送ってほしいとあり、こうした事象に沿って、「フェアリー」の項は細分されている。
 妖精物語ばかりでなく民族の祭礼や遊びや民謡、民芸、食物、薬品といったものに関する調査が、表の人々の協力によって絶えず続けられており、それに参加することによって、一方では人々の裡に自分の民族の財産を大切に守る意識が強くなっていくであろうし、他方ではそれが自然に学術的な研究の資料にもなっていくわけである。アイルランドは妖精の宝庫である―と一口に言われるが、その底辺にあるこうした絶えざる人々の努力と情熱とを、見る必要があるように思う。
 この民俗学科で発行されたパンフレットの三に、「バンシー」に関する興味深い調査表がある。その初めのところにアイルランドのナショナル・シンボルとして四つのものが掲げられている。それらは、植物のシャムロック(Shamrock)、楽器の竪琴(Spellelagh)、そして妖精のバンシー(Banshee)とレプラホーン(Leprachaun)となっている。国を象徴的に語るものが二つとも妖精であるということはアイルランドならではのことであるが、この二つの妖精は数多い種類のなかでもとくにアイルランドの人々に広く知られ、またもっとも際立った特色のある妖精である。
 W・B・イエイツの分類によれば、この二つとも「ひとり暮らしの妖精」(The Solitary Fairies)に属しており、群れをなして一つの国を作って暮らす妖精たち(The Trooping Fairies)よりもはっきりとした個性を持つ妖精である。
 このアイルランドの二つの特色ある妖精、「バンシー」、「レプラホーン」について少し述べてみたい。二つの妖精のおおよその輪郭について言えば、「バンシー」は特定の旧家の家族に従う付き添い妖精(アテンダント・フェアリー)(ブルッグズは守護妖精(チューテラリー・フェアリー)と呼んでいる)で、白い衣を着た痩せた女性の姿をし、長い灰色の髪をなびかせ、目を真赤に泣きはらして、泣き叫びながらその家の者の死を予告すると言われている。<Ban>または<bean>は女を意味し、<shee>または<sidhe>は妖精の意である。また「流れの洗い手(ウオッシャー・オブ¥ザ・フォード)とも言われ、死ぬ人の経惟子(きょうかたびら)を夜の暗い流れのほとりで洗っているのを見かけたり、
蒼ざめた死人のような顔をしてこうもりの鳴き声に似た悲しみの叫びをあげているのを、山中で聞いた人もいると言われる。
 「レプラホーン」は<Leithbhoroganレイ・ブローガン>、すなわち片足靴から来ており、踊り好きの妖精たちが月夜の草原で踊りへらした靴の片方だけを直す小人の靴屋で、垣根の元に片手に靴、片手に金槌を持って坐っている姿を見かけるという。七つずつ二列に並んだボタン付きの赤い上衣に、緑の三角帽子をかぶった老人姿のけちん坊妖精で、もしつかまえて、地下に隠している金貨の入った壷(九十九個)の在りかを言わせることができれば、大金持ちになれると人々に信じられているが、目ばたきするあいだに素早く姿を消してしまうので、掴まえるのが難しいと信じられている。

『妖精の系譜』 新書館



nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。