SSブログ

多摩のむかし道と伝説の旅 №120 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

         多摩のむかし道と伝説の旅(№28)
      -江戸の庶民の参詣道、都心の大山道を行く-4
               原田環爾

28-4-1.jpg 津久井往還を右にやり過ごし都道427号線を横切り弦巻5丁目の大山道に入る。すると沿道左手の小公園の一角に面白い大山詣の等身大の旅人像がある。旅人が椅子に腰をかけて一服している姿だ。江戸時代の大山詣の有様を彷彿とさせる造形物だ。傍らの石碑には大山詣の由緒が次のように記されている。「戸時代中期、関東一円の農村には雨乞いのために雨降り山とよばれる丹沢の大山に参詣する習慣がありました。これを大山詣といいます。赤坂見附から、青山、世田谷、二子、溝ノ口、長津田、伊勢原を経て大山に至るこの道は、俗に大山道とよばれていました。世田谷区内の大山道は、三軒茶屋、世田谷通り、ボロ市通り、そして弦巻を通って、用賀、二子玉川に行ってました。しかし大山詣はしだいに、信仰は口実となり、帰り道東海道に出て、江ノ島や鎌倉で遊ぶ物見遊山の旅に変わってきました。28-4-2.jpg28-4-3.jpgこの像は、そんな大山詣をする商家の主人をモデルに、たぶん一服しただろうと思われるこの場所に設置したものです。  昭和63年3月 世田谷区」。
 旅人像を後にし、コンビニ「SUNKUS」前の馬頭観音をやり過ごし、国立医薬品食品衛生研究所の前を通り過ぎると弦巻から用賀に入る。程なく新旧大山道(上町線、新町線)が合流する用賀追分に来る。合流点角地には「大山道追分」と刻んだ新しい道標が立っている。
28-4-4.jpg 追分を過ぎると左手車道の筋向いに東急田園都市線の用賀駅東口が現れる。続いて交差点「田中橋」で首都高速3号線のガードをくぐると、程なく二股に分かれた分岐点に来る。分岐点には安永6年(1777)用賀の村人が造立した延命地蔵堂がある。分岐道はどちらも大山道で、真っすぐな道は行善寺線、右斜めへ入るやゝ狭い道は慈眼寺線だ。慈眼寺線の方が古い道筋なのでこちらを採ることにする。慈眼寺線に入り環八通りを横切ると大空閣寺28-4-5.jpgという小寺の前に来る。真言宗豊山派の寺で山号を如意山と号す。比較的新しく大正10年新宿高田馬場で創建され昭和10年当地に移ったという。玉川八十八ヶ所霊場38番である。小寺を右にやり過ごすと、道は鍵の手に曲がって、角地に元禄10年(1697)造立の笠付庚申塔があり、そこが慈眼寺への参道入口になっている。慈眼寺は真言宗智山派の寺で山号を喜楽山と号す。徳治元年(1306)法印定音が開山、天文2年(1533)長崎四郎左衛門が開基となって現在地に堂宇を遷したという。玉川八十八ヶ所霊場37番である。慈眼寺28-4-6.jpgには隣接して瀬田玉川神社が建っており、境内から境内へ連続して入ることが出来るようになっている。神社は永禄2年(1559)に創建され、寛永3年(1626)長崎四郎左衛門嘉国により現在地に移転したという。国分寺崖線上にあることから元は御嶽神社と称したが、明治に入って他の神社を合祀し瀬田玉川神社になったという。祭神は大己貴命、少彦名命、日本武尊である。
 国分寺崖線の慈眼寺坂を下って行くと玉川寺の門前を通る。日蓮宗の寺で山号を妙隆山と号す。寛文6年(1666)江戸日暮里に創建された。昭和7年、日蓮入滅650年記念事業として、現在地に移転し身延山関東別院として新たに開山された。
 更に進んで下りきると丸子川に架かる小さな治大夫橋の袂に来る。丸子川は小泉次大夫が開削した六郷用水跡(次大夫堀)でもある。今から約400年前の慶長2年(1597)徳川家康の命を受けた小泉次大夫が、農民の協力を得て10年628-4-7.jpgヶ月の歳月を費やして開削した人工の用水路である。戦国末の天正17年(1589)多摩川が大洪水で流路が大きく変わり、農民の生活は行き詰っていた。新田開発を急ぐ必要に迫られた家康は、平安末以来の代々水利土木技術を受け継ぐ小泉次大夫を六郷、稲毛、川崎領の用水奉行として多摩川両岸の用水路開削に当らせた。慶長2年~3年(1597~98)にかけて稲毛領、川崎領、世田谷領、六郷領の四ヶ領の測量が行われ、慶長4年(1599)から六郷領を皮切りに、3ヶ月後には川崎領と、多摩川を挟んで交互28-4-8.jpgに両岸の開削工事が行われ、約10年6ヶ月の歳月を費やして慶長14年(1609)六郷用水と二ヶ領用水の本流が完成した。その後は各村への分水路が切り開かれ、すべてが完成したのは慶長16年(1611)、測量開始から14年の歳月をかけた大工事であった。
 橋を渡り真っすぐな道を400mも進めば前方に大きな車道の高架下に来る。車道は先の高速道246合号線の続きで厚木街道になる。高架下をくぐり、そのまま真っすぐ進むと多摩川沿いの玉川堤通りに丁字路でぶつかる。その角地には大山道の石標が立っている。
 大山道はこの先、多摩川を渡しで渡河し川崎に向かうのであるが、今回の旅はここまでとする。多摩堤通りを東へ辿ればほどなく東急田園都市線二子玉川駅に到着する。(完)

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。