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妖精の系譜 №63 [文芸美術の森]

第四章 フォークロアと妖精 3

       妖精美術館館長  井村君江

二つの異界――海の彼方の「常若の国(テイル・ナ・ノグ)」と「地下楽園」
       
 戦いに敗れ海の彼方と地下に逃れたトゥアハ・デ・ダナーンたちは、例えばルーは太陽・光の神、マナナン・マックリーアは海の神、モリーグは戦いの神とみなされ、海の彼方の別世界の楽土に住んでいると人々に信じられるようになっていった。この楽土は不老不死の霊境であり、神話の英雄たちク・ホリンやオシーン、ブラン、オルフェオ王そしてアーサー王も永生を得てここに憩っており、ハローウィン(万聖節十月三十日で、アイルランドではサウィン)の日には従者を伴ってこの島から馬でやって来る(妖精の騎馬行フェアリー・ライド)か、国の大事の時には再び助力のためこの世に立ち現われるはずだと人々に信じられている。
 この楽土はさまざまあるが、代表的なものは次の四つに分けられるようである。
 (1)常若の国(テイル・ナ・ノグ)
 (2)喜びが原((マグ・メル)
 (3)至福の島(イ・ブラゼル)
 (4)波の下の国(テイル・テルン・ギリ)
 楽土は、海の彼方の国、海の下の国、海に浮ぶ国、と海(水)を中心に想定される楽園である。「幸いの島」は眼に見えぬ霊境であるのに、アイルランドの古い地図の上にその位置が描き込まれていたり、突然、西の海上(太西洋上)に現われたとか、一九〇八年には実際に現出したという記録が残っている。夕焼けの西の海の彼方に忽然と姿を現わす「幸いの島」には、西方浄土という映像が重なりやすいが、これは単なる「来世」「死の国」とは違っている。メリイ・ヘニガンがメイヨ沖に立って夕映えに赤くかすむクレア島を見て、それが「幸いの島」だと書いているが、これは折口信夫が大王崎から海原を眺めた時、邁かな波路の果てに魂の故郷、祖先の魂の国の存在を実感したことと類似したものではなかろうか。折口信夫は常世は本来、「夜見の国」であり永久の闇の国であるが、やがて明るい 「理想郷、常若の国」へ移行して来たものとしており、そこから祖霊(まれびと)(沖縄ではニライカナへ)が海上の道を通って来訪すると考えている。この他郷意識進展の過程は、アイルランドでも常若の国が先史民族の記憶に、神々と英雄への敬慕とをない混ぜながら、人々の魂の故郷、憧憬の国となっていった心的過程を同じようによく物語っているものであると思う。
 一方、地下に逃れたトウアハ・デ・ダナーンは山腹の洞窟に隠れ住んだと言われ、この土塚(Mound)や円型土砦(ラースRath)、石塚(ケアンCairn)などが現在でもアイルランドには散在しているが、とくに丘になった土塚を古代グール語ではシー(Sidhe)と呼ぶ。古文献『アーマーの書』によれば、SicheはシーブラShiebra(Fairy、Spritee)と同じ意味で、地下に住むダーナ神族の意とあり、はじめは塚、砦、墳墓など丘の場所を指した。あるいは地下のダーナ神族の棲み家や宮殿を意味していたが、次第にそこに住むダーナ神族の意となり、「塚の住人、丘の人々」と言えば、超自然の力を持つ妖精たちを意味するようになっていったことがわかる。また、土の神(デイ・テレーニ)として穀物を実らせたり牛の乳の出をよくしてくれる農耕の神、農民の守護神として民間では信じられていたようである。ある説によればトウアハ・デ・ダナーンが初めてアイルランドに上陸したとき、ルーの魔力の剣とダグダの魔法の鍋をもたらし、天候を左右する能力によってアイルランドの農耕地に豊作をもたらしたとも言われている。
「異教の国アイルランドの神々のトウアハ・デ・ダナーンは、もはや崇拝もされず、供物も捧げられなくなると、人々の頭の中で次第に小さくなっていって、今では身の丈がわずか二、三〇センチほどになってしまったのだ」とW・B・イエイツは言っているが、見方によればここには、地下に逃れたトウアハ・デ・ダナーンが〈Sidheシ〉すなわち〈Fairies〉となり、土の神、農耕豊作の神になっていったという過程が語られているように思う。従って民話の中でブラウニーが脱穀の手伝いをしたり、ボガートが麦刈りや種蒔きを手伝った。、畝(うね)をめちゃめちゃにしながらも、農民たちと親しく付き合っている情景に思い当たるのである。


先住民族の遺跡――「円型土砦(ラース)」と「石塚(ケアン」

 丘の種族(妖精)が住んでいる場所は土塚ばかりではなく、先史時代の遺跡として残る土で築かれた跡、小高い円型の丘(ノール)や古代の人々の住居跡である円型土砦(ラース)、村から村への伝達の火をかかげともす場所といわれる丘(ライオス)あるいは埋葬丘(トウムラス)などや、石の墳墓や祭儀場、あるいは焼場であったらしいさまざまな石の古墳、それに回廊埋葬場石塚(パッセージ・グレイブ・ケアン)などは、妖精たちの好んで出没する場所と信じられている。プリッグズは妖精の出没する丘は、アイルランドでは、ノック〈knock)スコットランドではノー(knowe〉であり、外部は、シーアン〈sithien〉で内部のいわば住居はブルー〈brugh〉と言うとしている。ロバート・カークは「妖精の丘」はシー・ブルー〈sith bruaich〉であると言っているが、この名称はスコットランド地方に多いようである。小高い土を盛った丘が、内、外で違う名称を持ち、また他の名称で呼ばれるなどということは、日本ではあまりないことであり、そうした場所がいかに重んじられているかを示すものであろう。いずれにせよこうした丘陵や石や土の塚、土砦、石室それに石の古墳などは、アイルランド各地及びケルト圏のウェールズ、コーンウオールに散在している。
 実際にイエイツに関係の深いスライゴー地方を例に挙げれば、カラモーのメイヴ女王の墓石のあるノックナリー山の裾野に広がる緑の草原の中には、四十五個ものドルメンの巨石が群れ立っており、イエイツはこの原で長詩『オシーンのさすらい』〈一八八九)の着想を得たといわれている。確かにこの草原に仔むと、古代英雄の霊たちが、林立した巨石や洞穴の間から立ち現われるような思いがし、現世と彼岸との霊妙な境の混融した不可思議な霊気の漂いを感じるのである。さらにスライゴーを北へ少し行った所にあるリスナラーグには、アイルランドで最大の円型土砦があり、訪れてみると箸と繁る古木と葉に票れた、広大なおよそ六十メートルの円型の掘割に囲まれた小高い丘陵であり、その掘割も約十八メートルの幅がある。古代人の住居跡ということであったが、持主である農家の人の話では、二千年余の歳月を経た今日でも、青銅時代のそのままの状態で残されているとのことであり、この地点においては時間の流れが停止し、古代がそのまま現在に直結してる感を覚える。農家の主の心覚えには、ここは妖精の好む棲み家とあり、いくつかこの土砦にまつわる不可思議な話が伝わっているた。この土砦の気の下で行き暮れた旅人が一夜を明かしたところ、覇には気がふれていたとか、この土地の持主が豊を捨てようとミルク缶をかかえて足を酪踏み入れた途端、金縛りにあったように身動きができなかった、というような不可思議な出来事である。このように先史時代の祖先の遺跡と、現在の農家の人々は隣接して生活を営んでおり、いわば彼らの生活の場が妖精の好んで出没する場所と、同じ次元に存在しているのである。妖精たちも、またその棲み家であるフェアリーランドへの入口も、農民たちのごく身近に存在するのである。

『妖精の系譜』 新書館


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