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妖精の系譜 №62 [文芸美術の森]

第四章 フォークロアと妖精

       妖精美術館館長  井村君江

ケルト民族の神話――女神ダヌーの神族――

 アングロ族やサクソン族と同じく、大陸のダニユーヴ河畔に派生し、スペインを経てアイルランドに渡ったと伝えられているケルト民族は、紀元前からいくつかの種族が時代を経て、この他に渡って来て形成されていったことが、古代神話を見るとよくわかる。アイルランドの古書『侵略の書(レバ・ガヴァーラ』によれば、創世記にアイルランドに入島した種族の代表的なものは、①紀元前一四八五年頃に中部ギリシャより移住してきたパ^ソロン、②ニュヴズ(ネミデイィアンス)、③フィル・ヴオルグ、④紀元前七三九年頃移住してきたギリシャ系のトゥアハ・デ・ダナーン、⑤紀元前五〇五年頃、黒海とカスピ海の東北部シリアからエジプト、スペインを経てアイルランドに上陸したマイリージアン(ミレシウス王に率られて入島したのでミレシウス族ともいわれる)である。この最後のものが定着して今日のアイルランド人の祖先となったといわれている。マイリージアンとの戦いに敗れた先住民族トゥアハ・デ・ダナーン、すなわち「女神ダヌーを母とする種族」にまつわる数々の伝説が、アイルランドにおいて妖精の生まれてくる大きな淵源なのである。
 ルイス・スペンスによれば、トゥアハ・デ・ダナーンは女神ダヌーを祖先とする金髪碧眼の巨人神族で、予言の力や魔術にもたけ、アテネの人々がシリア人と戦ったとき、死者たちにデーモンを送って生きかえらせ勝利を得る手伝いをしたと言われている。次にアイルランドに入島してきたマイリージアンに戦いで破れ、マイリージアンは地上の目に見える国をとってアイルランド民族の祖先となり、トゥアハ・デ・ダナーンは海の彼方と地下に逃れ、そこに目に見えない美しい国を作り、目に見えない種族(妖精)となったと言われているのである。
 記録に残っているアイルランドの神話を内容の上から見ると次の三つに分かれよう。
 (1)神話サイクル(トウアハ・デ・ダナーンを中心とした外来種族の神話サイクル)
 (2)ク・ホリン・サイクル(英雄ク・ホリンの物語を中心にしたコノート王時代のアルスター神話サイクル)
 (3)オシーン・サイクル(オシーンを中心にしたフイアナ部族のマンスター神話サイクル)
 これらの神語記録が日本の『古事記』と『日本書紀』のように集大成され、神話伝説と民族の歴史が結び合わされ、年代記としてまとまるのが、十七世紀の『四学者の年代記』である。
 記録されている最古の文献、十二世紀の『赤牛の書』には、トゥアハ・デ・ダナーンについての興味深い記述が見られる。この書の著者と言われるマイルムイリイは、この種族の起源は不明であるが、天国からやって来た巨人の神族らしいとして、その秀でた知性と優れた知識とを讃美しており、「神と神でないものとの間の存在」(gods and not gods)とこの種族を呼んでいる。さらにこの種族には貴族的なすぐれた武人と農民との二つがある、と分けて考えているところは興味深い。この巨人神族が小さくなっていったというのは、ギリシャ神話の巨人族たちが他の秀れた神によってタルタロスの深淵の中に投げ入れられて縮んでいった話と類似したものがあるように思われる。また同じ頃書かれた古文献『リーンスターの書』の中での妖精の呼称はシープラ〈shiabra)であるが、これは古代アイルランド語で「妖精(丘の住人)、精霊、幽霊」など霊的存在の意である。では何故トゥアハ・デ・ダナーンが巨人神族として神格化されたり、超自然の力を持った霊的存在として信じられるに至ったのであろうか。
 もともとトゥアハ・デ・ダナーン〈Tuatha De Danann)とは〈Tuatha=種族・国民(nations)、 De=神(gods)、Danann=ダーナ(of  Dana)〉すなわち、女神ダヌーの種族(The People of the Goddes Danu)の意で、ケルト神話の母神ダヌーより生まれた神々の種類を指している。フランスのケルト学者ダルポワ・ド・ジュバングイルによれば、女神ダヌーは昔、民間ではブリギットBrigitとも呼ばれた地母神であったが、キリスト教が入ると聖ブリジットとの混同が行われ、聖者として信仰の対象となっていき、次第にそれが妖精の姦となっていったという。この種族がドゥルイドと同じものであるとする説もある。
 ドゥルイド僧は元来、アイルランドに渡って来た古代民族たちが持っていた太陽崇拝の原始宗教の祭祀であり、最高の知識人であるところから、哲学者、法律家、天文学者(占星術)、教育者、医術者.詩人を兼ね、また予言や呪術にもたけていたと言われ、ジュリアス・シーザーもドゥルイド僧たちの超人的な能力についてはすでに記録している。ドゥルイド(Druids)という言葉の語源はゲール語の〈dair、duir(アイルランド);dru 、daru(スコットランド)〉から来ており、樫の木(Oak)を意味する。「樫の木」(日本ではミズナラに近いと言われる)は神聖な木とされ、宗教儀式は「樫の森」で行われ、祭儀はもちろん呪術・医術を行う場合も「樫の杖」が用いられた。この「樫の杖」で岩や丘をたたけば異界への入口が現われると信じられ、のちにこれが妖精の名付け親や魔女、魔術使いが用いる魔法の杖になっていく。超自然の力を左右できるドゥルイド僧のこうした魔法とも見える超能力は二十年余の修業が必要で、修得すれば自在にデーモンや妖精たちを制御でき、それらと現実界の人間との媒体の役も務められるといわれる。「樫の杖」で岩をたたき別世界の秘密の入口を示して人間を誘導し、それへの参入を授ける導師でもあるわけで、古代にあってはトゥアハ・デ・ダナーンと人々の間の媒介をつと砦と、エヴァンス・ウエンツは言っている。
 そうした超自然界と交流できるドゥルイド僧たちと神族としてのトゥアハ・デ・ダナーンを、クリストファー・アヴイングが連関させているのは興味深い。またドゥルイド僧たちが詩人を兼ねていたと言われるのは、法律や王や貴族の年代記・医術の知識などを覚え伝えるのに、暗唱しやすいよう韻律にのせて歌ったからである。時代を下ると物語の語。部の役目をし、また宮殿をまわって戦いの情景などを作って歌う吟遊詩人の役も務めたので、この吟唱詩人としての役割が強くなり、こうしたことから詩人としての映像が濃くなっているわけである。
 紀元前五〇五年頃、ミレシウス王の率いる一族がドイツ方面からエジプト、スペインを放浪中にアイルランドのことを聞いて、攻略するために上陸した。この種族は農耕民族で当時でもかなり高度の文化を持っていたが、先住していたデ・ダナーンの方がすでに優れた高度の技術や文化を持っていた。両部族は戦いとなり、ティルタで最後の合戦が交えられ、デ・ダナーンは破れるが、この時の有様を伝える挿話が残っている。双方の王たちは会見の末、三日の間マイリージアンが退くなら、その間に戦いを続けるか屈服し退くか、態度を決めるというデ・ダナーンの申し出通りにすることになる。マイリージアンは王の弟でアイルランド最古の詩人であるアマーギンの助言と予言に従ったわけであるが、それは先住民の言葉通りに、九つ波を越えたところに退くべきで、そうすれば三日後には勝利はわれわれのものとなるという予言であった。マイリージアンの軍勢が船に乗り、海上を退き始めると、ダーナ神族のドゥルイド僧たちは、魔法の力によって大波を起こし、マイリージアンの船を押し流してしまった。マストの上に風が吹いていないのに大波が起こるのを見て、マイリージアンはダーナ神族が魔法の風を起こしたと思い恐れた。だが、アマーギンの唱えた呪文の詩の効果によって風は止み大事に至らず、三日後に上陸してマイリージアンの勝利となる。
 このとき破れたダーナ神族は海の彼方に逃れ、あるいは地下の洞窟に隠れ住むことになるわけであるが、ダーナ神族はギリシャの系統を引いて背も高く、金髪碧眼で美しく、細工物の高度の技術もあり、そのうえ魔法の力で自然を支配したのを目のあたりにして、野蛮なマイリージアンはダーナ神族が超人的、神秘的な人種であると思い信じたようである。この滅びた美しくすぐれた民族を語り伝える多くの挿話が、時代を経ていくにつれ次第に誇張され、マイリージアンはアイルランドの目に見える世界をとってアイルランド民族の祖先となり、ダーナ神族は目に見えない世界に住むことになって、魔法や呪術を使う超自然界の一族と信じられていくようになるのである。トゥアハ・デ・ダナーンにまつわる興味深い挿話は幾つも残っているが、中でもキリスト教の布教に努めた聖パトリックが、アイルランドの過去の歴史を知るために、マイリージアンからはキールタを、ダーナ神機からはタグタの娘を過去の世界から呼び出し、その姿の違いをたずねた時の双方の答えは、二つの種族をよく物語っているものであろう。すなわち、紋が寄り腰のまがったマイリージアンのキールタは、自分たちは人間であるから老人となると答えており、緑の衣に金の冠をつけたダーナ神族の美しい乙女は、自分たちは妖精であるので年を取らないのだ、と答えていることである。

『妖精の系譜』 新書館



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