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妖精の系譜 №61 [文芸美術の森]

第四章  フォークロアと妖精
フェアリーランドへの道

        妖精美術館館長  井村君江

アイルランドを中心に

 「フェアリーランド」(Fairyland)という言葉の響きから一般に人々が思い描く映像は、この世とは空間的に遠く隔たった所にある幻のように美しく楽しい国、木々は実り花は咲き鳥は唄い、老いも悲しみも争いもなく、妖精の戯れ遊ぶ楽土というような童話のお伽(とぎ)の国の情景ではなかろうか。
 長いこと悪魔と同一視され、邪悪な存在として恐ろしがられていた妖精たち超自然界の生きものに、文学の上で美しい容姿と親しみやすい性質を与え、土俗の暗い闇の中から明るい民衆の舞台と平土間の中に連れ出して、今日見るような映像に定着させたのは、イギリスにおいてはシェイクスピアであった。それ以後幾世代にもわたり、とくに童話の領域で多くの作家たちがその映像や性質を継承し、さまざまに特色ある妖精像を創りあげ、それにつれて彼らの棲み家フェアリーランドの情景にも、さまざまに粉飾がほどこされてきているのである。
 しかし妖精の棲み家であり、この世とは別の地上楽園という人々の願望空間とが重なったイギリスのフェアリーランドは、一口に空想裡に創りあげられた、標渺(ひょうびょう)とした単なる幻想といった言葉では片付けられるものではない。ましてユートピア(どこにもない所)として、どこか曖昧(あいまい)な空間に想定された、現世とは倒置関係にある理想郷といったものでもない。その淵源を遡ってみていくと、ケルト民族特有の他郷思想に突き当たる。この他郷・異界〈Other World)の考え方を、妖精信仰や民間の土着信仰との連関において歴史的に辿り、そのエトスの中にフェアリーランド観を浮かして考えてみよう。そして妖精信仰が今日まで民間によく継承されていることが辿れ、また「円型土砦(ラース)」と「石塚(ケアン)」など先史民族の遺跡がよく残っているアイルランドに中心を置いてすすめていこう。

妖精の派生した淵源

 一世紀のローマの詩人ルーカンは、その著『ナルサリア』の中で、「ケルト民族は現世とは別のもう一つの世界〈Orbis Alius=Other World〉の存在を信じている」と書いているが、古代から今日に至るまでケルト民族が思い描くこの異界の位置は、かなりはっきりした方角を持っている。日本においても、例えば「竜宮」は海の底、「黄泉(よみ)の国」「根の国」は地下、「高天が原」「葦原の中つ国」は天空、「極楽」「西方浄土」は西の空の彼方というように、古代の他郷・異界の方角はおおかたは定まっており、その位置は天と地という垂直方向に存在している。もっとも「桃源郷」「蓬来の島」は「非時香果(ときじく)の里」「常世(とこよ)なる妣(はは)の国」(折口信夫説)など祖先の故郷や憧憬の対象である国々は、海を越えた遥か彼方という水平線上に存在すると考えられているが、それにしても名称によって、それらの国土の位置がある方向に決まっている。
 ケルト民族は二つの方角に異界を位置づけた。一つは「水を越えた海の彼方」(波の下の国を含む)であり、もう一つは「土の下に広がる地の底の国」(丘の中腹、湖や水の底を含む)である。もちろんケルト民族が移住し広がっている地域によって、想定する場所には違いがある。概してスコットランドでは山や森、湖や井戸、ウェールズでは岩や丘の中や海の底に楽土があると信じられているが、こうした方角はその土地の持つ自然や土地の特色、そして住民の気質などによるところが多いであろう。
 アイルランドの場合には、そうした土地の外的条件のほかに、歴史的に見てローマやゲルマンの侵入がなかったために、古代民族の遺跡が破壊されずに人家近くにもそのまま残っており、それらにまつわる伝説・民話が豊富に伝わっているという事実がある。さらに宗教的に見れば、紀元四三二年頃、キリスト教をこの地にもたらした聖パトリックが牧童としての経験から、民間に残っていた土俗信仰の必要を知っており、これを排斥しなかったため、イギリス本土では邪教の神、異教の神々(ベイガン・ゴッド)、デヴィルやデーモンとみなされて否定された妖精たちが、この地では同じ憂き目を見ずにすんでいることである。こうした二つの特殊事情は、彼らの持つ他郷意識に大きく作用したものとして大切な要素であろう。
 では何故ケルト民族の考えるフェアリーランドが、「海の彼方」と「地下」という二つの領域に決まっていったのであろうか。現世とは別の世界であるフェアリーランドを思い描くのに制限はないはずであるが、何故この二つの方角にケルトの人々は別世界の存在を信じたのであろうか。この原因を考えるためにはまず、妖精が派生してくる淵源を辿る必要がある。
 以前私は「妖精―—その種類と淵源」と題する小論(『妖精の国』所収)の中で、妖精が生まれてくる種々の源を大きく次の五つにまとめてみた。
(1)自然の精霊
(2)卑小化した古代の神々
(3)滅亡した古い種族の記憶
(4)死者の魂
(5)堕天使
 自然の森羅万象の中に象徴を見たり、嵐や大風、洪水、落雷など不可思議な自然現象に恐れを感じ、それら目に見えるものに自分と同じ人間の形を与えて安堵するという心理作用は、科学的因果関係を見る力を持っていなかった古代人に共通した傾向である。
 しかしこの論考では、田は扱わずに、また㈲の堕天使も、キリスト教思想が入ってからのものであるので、ここの論旨から外れよう。刷の小さくなった古代の神々(神話)、畑の滅亡した古い種族の記憶(歴史)、㈱の死者の魂(宗教)の三者は、ケルト民族の場合とくに互いに密接な連関を持ちながら、異界観を形成していった要因であると思うので、この点から考えてみたい。

『妖精の系譜』 新書館

 

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