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妖精の系譜 №57 [文芸美術の森]

イギリスの児童文学と旅 4

       妖精美術館館長  井村君江

旅は魔法の行為      

 「旅」というものはこれまで見てきたように、日常生活の延長上において想像的なものが可能になるという不思議な機能を持っている。従って純文学においても旅をテーマとした作品は、容易にフィクション化されやすいこともあって、数多く作られてきている。いまここで問題にしようとするのは、旅をテーマとした旅の文学、旅行文学と、十九世紀のロマンティシズムの作家たちの持った造かな遠い国への憧れ、というものである。児童文学における海洋文学やファンタジィものは、こうした純文学の作品との関わりをもって生まれてきていると思うからである。
  まず旅行文学を考えてみると、これはもちろんイギリスばかりでなく、西洋には古くから伝統がある。マシュー・ホガートが詳説しているので、それを参考にまとめてみると、まず文学史の一番初めに出てくるホメーロスの『オデュッセイア』がすでに漂流の話である。ラテン文学においてもタキトゥスやストラボの書いた地理の書や旅行記が、その本来の学問的な、あるいはルポルタージュ的な目的を離れて文学作品として読まれた。これらの作品の系列は、ギリシャ神話のイアソンの金羊毛皮を求める航海「アルゴノート」やヘラクレスの冒険行に端を発し、事実と虚構もしくは幻想の境界の上に立つものである。やがて、地中海が知りつくされ、アラビア人相手の交易に終始した中世はともかく、十六世紀になって新世界が発見されて、東洋への航海もさかんに行われるようになると、また実録のかたちでさまざまの航海記が流布された。
 この系列に対してもう一つ、紀元二世紀初めのルキアノスの作品『本当の話』に端を発する旅行文学がある。これはちょうど第一系列のパロディのような位置を占め(ルキアノスのものがすでに『オデュッセイア』のパロディである)、これ以後フランソワ・ラプレーの『パンタグリエル第四の書』(一五五二)とかシラノ・ド・ベルジュラックの『月世界旅行』(一六五七)、『ミュンヒハウゼン男爵の冒険』といった作品を生んでゆく。いわばこれらは誇張された空想癖の強い旅行文学である。サミュエル・バトラーの『エレホン』(一八七二)やトマス・モアの『ユートピア』(一五一六)、あるいはウィリアム・モリスの『ユートピア便り』 (一八九一)やオールダス・バックスリイの『すばらしい新世界』(一九三二)などの「ユートピア文学」ものもこの系列に入るであろう。「ユートピア」(Utopia)という語は、トマス・モアがギリシャ語〈ou〉(無)と〈topos〉(場所)から自分の描いた空想の鳥の名として作りあげた言葉であり、サミュエル・バトラーの「エレホン」〈Erewho〉が〈Nowhere〉(どこでもない所)を指すと同じように、この世には存在しない場所である。ただここは地上楽園といった場所ではない。ホガートはこれをうまい言葉で表わしている「ユートピアは、諷刺家たる旅人が冒ざす目的地であり、荒野の彼方に開けた文明である」。
 十六世紀以降のイギリスの文学は、この分野に大変大きな寄与をしている。これはやはりイギリスが島国であり、イギリス国民が積極的に海外へ出ていったことと関連が深いのであろう。国民の中に船乗りになる者が多く、東洋や新世界へ旅をした者の数も相当数にのぼっている。船乗りたちの興味深い体験談は、しばしばパンフレットの形で広く人々に読まれた。シェイクスピアの『 嵐』(一六一一)が、このようなパンフレットの一つである『バーミューダ島遭難記』に想を得たものであることはよく知られているし、『ロビンソン・クルーソー』もまた同じようにアレクサンダー・セルカークの漂流体験記『サン・フエルデナンド島』 をもとにして成立したのである。初期のこうした航海者たちの記録を、バクルートが刊行したりパーチェスやベルトラムのような人々が公けにしたことも、国民全体の興味をそちらの方向へむける大きな原因となったであろう。そして、これら
がのちにキャプテン・クックの『航海記』(一七七三)やチャールズ・ダーウィンの『ピーグル号航海記』(一八三九)のような本来科学的な内容のものが、一般読者にも広く読まれるようになった基盤を作ったともいえよう。そして初期の、船乗りや商人だけが海外へ行った時代が過ぎると、植民地の確立とも相まって、直接創作にたずさわる文学者たちも各地へ旅に出て、旅行記を書いた。その体験に根ざした小説や詩を書いたりすることも多くなり、それはとくに十九世紀に盛んになる。
 一方、旅に出たいという衝動、その変形ともいえる見知らぬ国への憧れはとくにイギリス十九世紀の詩人や作家により、その作品のなかにさまざまに展開される。例えばペックフォードの『ヴァテック』(一七八六)、ロバート・サウジイの『サハラ』(一八〇一)、トマス・モアの『ララ・ルーク』(一八一七)、コールリッジの『クブラカーン』(一七九八)などの傑作が生み出されたのも、この他郷、異界、未知の国への憧れと旅からである。この普段の世界以外の国に憧れを抱くことは、ロマンティシズムの一つの特色でもある。ここになると「旅」 の問題は想像力の問題と重なってくる。現実にないものを欲すればそれを手に入れるためにそこに行かねばならぬ、探さねばならぬ、それが実在するにせよ非現実的存在であるにせよ、そこへ行くという手段がとられる。これを旅とすれば想像力にとってもこの操作は必要となってこよう。
 見方を変えれば「旅」 というものは、非現実をあらかじめ措定しておいて、それを実現化する一つの過程といえるかも知れない。思うに、思惟が生んだものを実在化するという過程は、人間の精神がもつ機能のうちでももっとも基本的なものの一つである。従って詩作も発明も精神の創造に属し、この限りにおいて先に述べた営みの一つの例に他ならない。こうした特別の場合のみならず、日常生活の思惟が生んだものを、日常生活の中で現実化しようとする時、その思惟を支えている想像力が強いものであれば、その意図は旅という形をとることになろう。端的に言えば、「旅」はすべての満たされぬ思いをかなえてくれる魔法の行為である。旅は人が思い描き得るすべてのものをもたらす(現実化する)可能性を持っている。旅へ出発する前の期待の中には、目前の現実を離脱し、非現実の世界、架空の存在を志向する心的状態があるわけで、これほとりもなおさずサルトルの説
く映像化の不可欠な構成図であり、ここをすすめていけば想像力説の問題となってくる。
 このように「旅」という問題、そして童話におけるファンタジィ論というものもそうであるが、根本的には、どうしても想像力論と関わってくるのである。ただここで考えられることは、浪漫主義者の抱く旅の映像には、目的地あるいはそこで生じた事件というものより、そこへ行こうとする志向性、心の傾き、期待というものを強調する傾向が見えることである。これは作家たちの自意識と陶酔の強さと関わりがあろう。とまれ、児童文学はこうした十九世紀浪漫派の作家たちに見られるような異常な旅への関心とか、それへの関わり方を見せてはおらず、また現われ方も異なってはいるけれども、童話の形式を用いた作家たちも多く、ファンタジィの作品はどうしてもこれら浪漫派の作家との連関において考える必要があると思うわけである。具体的にはのちにふれたい。
 この旅と文学とが結びつく傾向は、イギリスにおいて二十世紀に入るとますます助長され、思い出してみてもサマセット・モームやグレアム・グリーン、そしてイヴリン・ウオーやローレンス・ダレル、E・M・フォースターと、外国を旅した体験を書いた興味深い旅行記の傑作や、旅の形をとった小説を書いた作者がいくらでも挙げられる。一方で地方貴族の変化の少ない生活を精密に描写することによって、大陸とは別の種類のリアリズムを完成したイギリス文学は、他方ではもっとも変化に富んだ生活体験「旅」というものに大きな関心を払っていたわけである。

『妖精の系譜』 新書館



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