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多摩のむかし道と伝説の旅 №111 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

          多摩のむかし道と伝説の旅(№26)
     - 御岳渓谷、鳩ノ巣渓谷、数馬峡を辿る奥多摩への道-4
                 原田環爾

111-1.jpg これより鳩ノ巣渓谷の道に入る。雲仙橋の袂から谷へ向けて急坂を下る。手打ち蕎麦で有名な一心亭の横をじぐざぐと下り降りると水神橋という赤い小橋を渡って谷底の岩場に着く。岩場には一際巨大な岩山があり、その上に水神様が祀ってある。岩山のに鳩ノ巣の由来を記した由緒書が立っている。
 由緒書によれば江戸時代の明暦3年(1657)、江戸で大火が発生した際、復興用資材として奥多摩から大量の材木が切り出され多摩川を下った。この地は大変な難所で番所が置かれていたが、この時森に祀られていた水神のそばの木に鳩の夫婦が営巣していた。人々は仲むつまじい鳩の夫婦を霊鳥として大切にし安全を祈願したことから、この地を鳩ノ巣と呼ぶようになったという。
111-2.jpg 上流すぐ目の上に小さな吊橋が架かっている。鳩ノ巣小橋という。細い道を少し上がって渓谷を眼下に見下ろす喫茶店「ギャラリーポッポ」の横を通って鳩ノ巣小橋を渡る。橋の中ほどから下流を見ると先ほどの水神社が大岩の上に鎮座しているのがよく見える。対岸は巨大な城山と称する山塊が渓谷に直接落ち込む険しい地形で、渓谷の道は巨岩がごろごろ転がっている。せわしく流れる渓流を目の当たりにしながら、右に左に上に下へと岩から岩へ飛び移りながら進む。まさに渓谷の道の醍醐味が味わえる。
 ところで鳩ノ巣渓谷の南岸の山塊を城山と呼ぶのはなぜだろうか。実は奥多摩伝説でしばしば登場する平将門の城がこの山にあったというのである。平将門は10世紀の平安時代、京都の腐敗した中央政治権力に反抗して常陸( 茨城県)で反乱を起こした坂東の英雄だ。下総や常陸を中心に活躍した平将門が奥多摩まで足を踏み入 れたという歴史的証拠はないが、将門111-3.jpg伝説は奥多摩各地に残る。おそらく将門の死後、一族郎党が落人となりこの深山幽谷の地に移りすんだことが伝説を残す素地となったと思われる。また中世の奥多摩渓谷を支配した青梅の三田氏が自らを平将門の後胤と称したことも関係しているかもしれない。
 やがて遥か前方に渓流を遮る何やら構造物らしきものがちらりと見えるようになる。白丸湖のダムサイトだ。渓流を遡る魚のための魚道もかすかに見える。ここから先、深い渓谷の道は一旦途切れ、急坂をよじ登って渓谷中腹の道筋に向う。上がりきった所は吾妻屋のある休憩ポイントになっている。吾妻屋を後 にして小径を進むと白丸湖のダムサイトに到着する。白丸湖はエメラルド色の水をたたえて渓谷の中にひっそり佇んでいる。堰堤から今来た渓谷方向を眺めると、先ほど見た階段状の魚道がはっきりと確認することが出来る。ちなみに111-4.jpg白丸ダムは水力発電用のダムで白丸発電所と呼んでいる。最大取水量5.3m3/秒、貯水量は300,000m3だそうだ。白丸ダムは高さが30mもあることから鮎や虹鱒、やまめ等の魚達の遡上を助ける魚道に大変工夫がなされている。魚道の幅は2mほどで、下の渓流から一旦ダムとは逆方向に上った後、反転してダムに向って上がって行き、最後はトンネルを潜ってダム湖に出るという仕組みになっている。全長332m、落差27mもあるそうだ。
 湖畔には白丸調整池巡視道路と言う綺麗な遊歩道がある。エメラルド色の湖水をたたえた白丸湖を右に見ながら遊歩道を進む。湖畔の道半ばの小橋の袂に小さな石仏が111-5.jpgぽつんと佇んでいる。小橋を渡り更に進むとやがて前方遥か上方に渓谷を跨ぐ橋があるのに気づく。数馬峡橋だ。ここで湖畔の道は上り坂となり 数馬峡橋の袂にあるレストラン「アースガーデン」(かつては手打ちうどんの「鴨足草(ユキノシタ)」と言った)という店の前に出る。数馬峡橋の袂には昭和59年文化勲章を受章した奥田元宗先生の詩碑がある。詩碑にはこんな歌が刻まれていた。
「ひとり来て 生きる命を 思いたり 紅葉のくらき 山にむかいて」
 数馬峡は昔から奥多摩きっての難所で、左岸にはこの難儀を解消するため元禄年間に切り拓かれた数馬の切り通しが今も残されている。
 この先右岸には数馬峡遊歩道と称する遊歩道があるので、この遊歩道を辿って氷川まで向うことは出来る。ただ今回は数馬の切り通しを訪ねることを優先し、それに併せて最寄りの白丸駅を旅の終着点とすることにする。
111-6.jpg 数馬峡橋を渡り青梅街道に出る。街道を右に折れるとすぐ左に山腹へ上がる細い車道がある。この道は近年造られたもので数馬の切り通しへ向かう近道になっている。本来の道は街道をもう少し進んだところで左手へ上がる坂道を上って一旦白丸駅へ出る。そこから山腹の集落の中を縫う旧青梅道をうねうねと辿り、青梅線のトンネルの上を横切り、集落の外れにある細やかな十一面観音堂を左にやり、樹林が覆う山道に入る。現在は先ほどの新設の道でここまで簡単に来れるようになっている。寂しい山道を更に進むと鬱蒼とした樹林の中に数馬の切り通しがある。古より青梅街道は甲州裏街道として重要な道筋であった。中でも数馬峡は街道筋最大の難所で、江戸時代の初めまでは山越えが唯一の道だった。元禄の頃ようやく切り通しが開削された。それがこの数馬の切り通しだ。その後の改修により奥地との物流交換が可能となったという。数馬の切り通しからは下方に現青梅街道を望むことができるが、残念ながらここから先は通行止めとなっていて降りることは出来ない。今回の旅はここで終わる。今来た道を辿って終着点白丸駅へ向かうことにする。(完)


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