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妖精の系譜 №49 [文芸美術の森]

ネズビッドの「サムアッド」、トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」

      妖精美術館館長  井村君江

 イーデイス・ネズビット(Edith Nesbit一八五八~一九二四)の『砂の妖精』(一九〇二)では、バスタブル家の五人の子供、シリル、アンシア、ロバート、ジェーン、そして赤ん坊の、ヒツジちゃんの兄妹が、昔は海岸であった丘のてっぺんの家に引っ越して、ある日砂を掘って遊んでいると、突然砂の中から不思議な生きものが現われる。一日に一つの願い事をかなえてくれると言うので、子供たちは絵のように美しくなったり、古い金貨をもらったり、羽根がはえて空を飛んだり、願うことが実現して大喜びであるが、日暮れになるとその魔法の力は消えるので、てんやわんやとなる。この不思議な生きものはサミアッドという砂の妖精であった。
 「その目はカタツムリのようで、長い触角の先についており、望遠鏡のように出したり引っ込めたり動かせます。耳はコウモリの耳のようです。ずんぐりした身体はクモに似て、厚く柔らかい毛皮で覆われています。すねにも腕にも毛がはえ、手足はサルのようです」と、いわば小動物と昆虫との混合のような姿をしている。こうした容姿は不気味で不恰好なダーク・エルフで、ゴブリンやボギーにも似通っている。前世紀の生き残りと自称しており、食べ物については、こう言っている。
 「わしの時代には、ほとんど誰だってプチログクチル(ワニのようでもあり、鳥のようでもある)を朝ご飯に食べた」、「プテロダクチルを焼き肉にすると非常にうまかった」。
 また、「イクチオサウルスも食べた」と言っているが、これは古代の恐竜のようなものらしい。こうした言葉で砂の妖精は恐竜時代にたくさん存在していたことが示されている。
 「当時は砂の妖精が山ほどおった。砂の妖精をみつけると願い事をかなえてくれる。だから人間どもは、朝早く男の子を海辺にやり、その願い事をかなえてもらっていた」。
 昔は願い事をかなえてくれたようであるが、その魔法の力はサミアッドになるともう衰えており、日暮れと共に力は消えるという一定期間だけ効力をふるうものになってしまっている。サミアッドはネズビットの他の作品『お守り物語』に再び登場するが、ここではもはや魔法を使うことはなく、子供たちに古道具屋で石のお守りを買わせるが、これは一つの石の半分で、残りの半分と一緒にすれば、どんな災害からも守ってくれるという魔力を発揮する石である。子供たちがお守りを東に向けその名を唱えると、八千年前のエジプトやバビロンに連れて行ってくれ、また未来の美しい国へも連れて行くという設定になっていて、この石の前ではサミアッドの存在は薄くなっている。しかしネズビットの作り出した容姿性質と共に特色ある砂の妖精サミアッドは、現代の創作された妖精のうちでも際立ったものの一つであろう。
 平凡な日常生活を営む子供たちの中に突然「魔法を使うもの」という非現実的なものが入りこんできて、両者の関わり合いや食い違いから、さまざまな事件が展開していくという設定は、ネズビットもパメラ・トラヴァース(Pamer Travers(一八九九~一九九六)の物語も同じであり、前者はサミアッドという非現実的な不気味な存在であるのに対し、後者はメアリー・ポピンズという現実の世界のどこにでもいそうな女性である。「メアリー・ポピンズはわたしの生活なのです」とパメラ・トラヴァースは自伝の中で語っているが、オーストラリアに生まれイギリスに暮らした作者のなかには、ケルトの想像力と幻想を好む血が流れている。
 メアリ1・ポピンズは、バンクス家の二人の子供ジエインとマイケルの世話をする乳母として雇われるが、銀ボタンのついた青い上着を着て、きちんととりすました姿で、固い麦わら帽子をかぶり、オウムの柄がついた傘を広げてどこからともなく東風にのって、空から桜通り十七番地のバンクス家にやってくる。鞄の中からさまざまなものを出したり、手すりを上にのぼっていったりということで、普通の乳母とは違う力を持っているということがわかってくる。
 メ/リー・ポピンズは、子供に対して献身的である。身の回りの世話をし、散歩に連れて行き、病気にならねようラムパンチを飲ませたりする。子供を守護し育成するということは、妖精の分類から言えば、アーサー王伝説で赤ん坊のランスロットを騎士に育てた妖精レディ・オブ・ザ・レイクのような「フエ」の性質で、ここでは人間に対して献身的に奉仕する。
 メアリー・ポピンズは舗道に色チョークで描いた絵の中や、飾り皿に描いてある風景の中にボーィフレンドやバンクス家の子供たちと一緒に入って行って遊び、また現実に帰ってくる。大人たちは信じず、子供たちも夢の中の出来事ではなかったかと思う。しかし、絵の中にそれまでなかった「M・P」とイニシャルを刺繍した赤と白のチェックのスカーフが落ちていたりする。メリーゴーランドの木馬で空を飛んでいったり、笑い出す中毒のおじさんとお茶を飲みながら笑いころげると、みな風船のようにふくれて天井にあがって行ってしまうが、悲しいことを思えば縮んで落ちるなどする。こんなふうに現実と断絶した次元で不可思議なことが起こるのではなく、現実に非常に近いところで不思議なことに何気なく出会う形で、メアリー・ポピンズの魔術は使われている。
 メアリー・ポピンズは、乳母や家庭教師が休暇を取るように、ときどき姿を消してまた戻ってくるが、最後には空へ帰って星になってしまう。大人たちは「新しい星を発見、奇蹟だ」と思い、望遠鏡をのぞくように子供たちに言うが、子供たちはメアリー・ポピンズがメリーゴーランドに乗り、木々の棺を離れ星空に向かってのぼって行き、光の輪の中の小さい黒いしみ、すなわち星になったことを知っていた。その星をよく見ると、麦わら帽子に銀ボタンつきの青い上着、オウムの柄の傘を持ったメアリー・ポピンズが、宵 の明星になって光っていたということで物語は終わる。
 歯がはえるまでの赤ん坊は、月の光と話をしたり、小鳥の声が理解できるという設定は、ピーター・パンと小鳥の島ネヴァネヴァランドの関係を想起させる。バンクス家の双子の赤ん坊ジョンとバーバラはいつも小鳥のために、パンをこぼしておくのに、その親切な行為が大人たちにはわからず、二人は行儀が悪いとしかられるのである。メアリー・ポピンズにはそれがわかっている。あるとき、双子には小鳥の言葉がわからなくなってしまう。それは歯がはえてきたからであった。「もう小鳥とはお別れだ」と双子の赤ん坊たちは話し合う。このことはピーター・パンの「人間の赤ん坊は生まれる前は小鳥だった」ということと、非常に類似しており、羽根で自由に空を飛んでいく小鳥のように、無垢な幼児の心は自然物と同じであり、妖精を感知することもできるということを語っているようである。しかし大人にはメアリー・ポピンズのやることがわからないということは、大人は自然に対する感知能力が鈍くなっていることを示していよう。
 現代の子供たちが自然に妖精の国へ行く時の橋渡し役の妖精として歓迎するのは、メアリー・ポピンズであろう。羽根がはえていたり、人間界に現われてはすぐ消えてしまう遥かな妖精の国の住人ではない。おしゃれでつんとすまし、うぬぼれも強く恋もするという愛すべき美しい若い乳母である。しかし子供たちにフェアリー・テイルを語って聞かせるだけではなく、大人たちにはわからないフェアリーランド、木や風、月の光や小鳥たちと自在に交流し、暖炉の上のお皿の風景で遊べるという身近な次元にあるもう一つの国へ、子供たちを実際に連れて行ってくれるのである。伝承物語の中で妖精の国へ行った者は、時間の流れの違いから、この世に戻ったとき、老化現象に襲われるか、灰と化すかしているが、バンクス家の子供たちは異次元の世界を、何の変化もこうむらず自在に行き来している。メアリー・ポピンズは現実の絆を断ち切り、すぐさま容易に次元の異なる世界へ飛翔する子供の夢の美しい案内人とも言えようか。

『妖精の系譜』 新書館



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