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妖精の系譜 №46 [文芸美術の森]

児童文学の妖精像

       妖精美術館館長  井村君江

児童文学に息を吹きかえした妖精
 
 月夜の草原で不意に話しかけてくるような素朴で単純な生きものだった妖精たちは、十七世紀の詩人たちの筆であまりに細密に精緻に描写されていくうちに、神秘のヴェールははがれ、次第に額縁の中の飾り物になっていき、実在感を失って詩的象徴の一つになってしまったようである。
 十八世紀は、合理主義的な考え方が中心であり、都会中心の文化であったが、理性的、擬古典的な技巧の詩に飽きた十九世紀の浪漫派の詩人たちは、それらへの反動から、ありのままの自然や素朴な田園、面白い不合理さ、目に見えぬ未知のものへと向かい、森や木、湖や草、花や小動物の中にたわむれる妖精を再び見出して詩にうたい、絵画の中に視覚化させていく。
 浪漫派の詩人と共に、妖精は復活する。パックやゴブリンやブラウニーが、再び息を吹きかえし、キーツやシェリーが妖精の女王を歌い、コールリッジがピクシーを歌い、クリスティナ・ロセッティがゴブリンを描き、ド・ラ・メアがサラマンダーやさまよう目に見えぬものたちを描いていく。
 又、画家のフューズリ、ドイルやダッド、フィツツジエラルド、ペイトン、シモンズ、アユラックなどヴィクトリア朝画家たちの絵筆が妖精たちを視覚化した。われわれの脳裡にある映像は、十九世紀のビクトリア朝妖精画家たちの想像力で生み出されていった妖精たちなのである。
 しかしより実在性を帯びてもう一度妖精たちが息づいてくるのは、児童文学の世界の中である。妖精というものは信じる人の心の中に生きるものであり、信じる人の心を命にして生きるものである。この信じる心がなければ妖精は生かされないし生きてこないが、民間伝承の妖精が生きてきたのは、素朴な農民たちの心の中であった。それと同じように、子供たちの無垢で素朴な心、信ずる心に、妖精はまた息を吹きかえしてきたのである。妖精が豊かに息づき、今後も新しい妖精が作られていくのは、この児童文学の分野においてであろう。
 「児童文学の中の妖精」は、民間伝承の妖精を踏まえながら、各作家たちがその想像力の自在な駆使によって創造した妖精である。ヨーロッパ各国で、民族の持っている遺産としての民間伝承物語や伝説、そして神話を蒐集し再話することが、十九世紀に盛んに行われたが、こうした民俗学の気運は、この時代の作家に、他民族の特色ある物語に関心を向けさせ、それとの比較において自国に特有な物語やその主題、登場人物への興味を抱かせた。その一つの現われとして特筆すべきは、十九世紀の半ばに大陸から民間伝承をもとにした童話が、すぐれた訳者の手によって入ってきたことである。グリム童話が、エドガー・テーラーにより『家庭のための物語集』として、ジョン・ラスキンの序文とクルックシャンクの卓抜した挿絵つきでボーン書店から出された。またアンデルセンの童話もメアリー・ハウィット夫人 (一七九九-一八八八) の手によって十編が一冊にまとめられ、『子供のためのふしぎな物語集』(一八四六)として出された。伝承文学の再話というだけでなく、フェアリー・テイルの分野での初めての純粋な試作ともいうべきこのアンデルセンの童話の数々は、とくに広く深くいきわたって、イギリス人たちの空想をさらにまた刺激してさまざまなすぐれた創作を生み出すことになる。フランスのシャルル・ペローの昔話集は、『教訓をともなったすぎし昔のお話集、ガチョウおばさんの物語』(一六九八)として出たものが、ロバート・サンバーにより『ガチョウおばさん(マザー・グース) の話』として、一七二九年頃に英訳されて、「赤ずきん」や「シンデレラ」「眠れる森の美女」などの物語となって、いちはやくイギリスに入ってきていた。
 イギリスでも自国の民間に昔から伝わる物語を集大成し、新しい形式の童話として再生する仕事が次々と始められた。民俗学者であり詩人のアンドリュー・ラング(Andrew Lang一八四四-一九一二)は、「神話や伝説、昔話など伝承文学の根本に横たわる原始心性は同じものであり多元的に発生する」という説にもとづいて、いろいろな国の昔話を再話して、「青色の童話集」を始め、赤色、緑色、灰色など色分け童話集(青色詩歌集等を含めると二十五冊、童話集だけでは十一冊)(一八八九-一九一〇)を出し、世界各国童話の集大成を仕遂げた。また彼が翻訳し書き改めたギリシャの叙事詩ホメーロスの『イーリアス』や『オデュッセイア』は、現代にいたるまでイギリスの子供たちにギリシャ神話を親しませる古典的存在となっている。
 同じ民俗学者のジョセフ・ジエーコブスも口論の形、あるいは文献として残っている昔話を蒐集し再話して、『イギリス昔話』(一八九〇)を編み、今日までこれがイギリスに古くから伝わる昔話集としてさまざまな再話のもとになっている。フランス経由の『マザー・グースの調べ』(一七六五)を出したジョン・ニューベリーがイギリスに伝わる童謡を採集していたが、それをもとにバリウエル∥フィリップスが口調の形で伝承されていた童謡を蒐集記録して『イングランドの童唄』(一八四二)を出したのもこの頃である。

『妖精の系譜』 新書館



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