SSブログ

妖精の系譜 №37 [文芸美術の森]

妖精と浪漫詩人たち

       妖精美術館館長  井村君江

古典主義から浪漫主義へ

 十八世紀のイギリスは産業が盛んになり、科学的合理主義の考えが中心を占め、一方では清教徒の宗教的規制も厳しくなり、文学においては古典的な形式の明確さが重んじられ、都会中心の文明になっていった。十九世紀に入る頃から当然のこととしてそれらに対する反動、浪漫主義と呼ばれる思潮が文壇に起こってきた。その主な傾向をまとめると、次のようなものが挙げられよう。
(1)理性的合理的なものから、情感的神秘的なものへ向かう傾向で、想像力を重んじ、奔放な個人の表現が重視されてきた。
(2)そこから、日常的現実的なものを排し、超自然的なものに憧れる傾向が生まれてきている。
(3)現実より離れることは、今の時点より遠いものを志向することであり、時間的には中世趣味(ミディヴァリズム)(とくにアーサー王伝説やゴシック趣味の復活)、空間的には異国趣味(エキゾティズム)となってくる。
(4)因習に縛られた現実からの解放と自由を求める気運が、現実をより理想的なものに変革したいという革命を信奉する精神となり、当時勃発したフランス革命への共鳴となって現われた。
(5)都会的な文明を逃れ、自然に帰る傾向が強くなり、自然物に永遠の生命の流れを見てそれを謳う田園趣味、牧歌的傾向が強くなった。
(6)現実を醜悪とし、現実にない理想の世界を美として追い求め、「美こそ真である」とする理想美を表現しようとする文学者や美術家が多く輩出した。
(7)自己の発見、個人の尊重、個性の表現の重視から、自己の民族や国家の特色を見直し、そこに独自の文化への関心が高まり、歴史遺産の発掘、民間伝承の蒐集、記録、発表が盛んに行なわれた。
(8)さらにこの時代はキリスト教信仰がゆらぎ、古代の人々の持っていた土着信仰、さらには異教の神々(ベイガン・ゴッド)や妖精信仰に人々の関心が向かっていった。
 こうした気運の中で、異教の神々の末裔である妖精たち、緑の草地や自然の中にこの世にない国を作り、歌と踊りで自由に暮らす超自然の生きものである妖精たちが、浪漫主義の象徴的な存在として、詩人や作家や画家たちに、謳われ描かれていったのは、自然のなりゆきであったことがうなずけてこよう。

ポープの『髪盗人(かみぬすびと)』

 十二歳まで、スペンサーやドライデンを精読し、とくにスペンサーの『妖精の女王』に無限の喜びを覚えたというアレグザンダー・ポープ (一六八八-一七四四)は、古典作家として知られているが、妖精、精霊を登場させたややコミカルな作品『髪盗人』(一七一二)は、浪漫派の先駆けとして次の時代の詩人や画家に影響を与えているので、少し触れよう。
 擬似英雄詩(モック・ヒロイック)と呼ばれる諷刺的な物語詩であるが、空想と機智とを巧みにないまぜ、装飾と技巧の妙を尽くしたもので、ウィリアム・ハズリットは「みごとな金銀線細工(フィリグリー)である」と言っている。物語は一七二年に実際に起こった事件にもとづいている。貴公子ピーター・ロバート卿がアラベラ・ファーモアという美人の髪の毛をかすめとったために起こった事件で、両家を和解させるために親友カリルの頼みでポープが物語に仕組んだものである。題名はトロイ戦争の原因である「ヘレン掠
奪」(The Rape of Helen)を思わせる。物語を簡単に言えば絶世の美人であるべリンダには、さまざまな精霊たちがついて守護しているが、冒険好きの男爵のために髪を切り取られる。べリンダが友人と共にかたくなに髪を返さない男爵を責め、その言い争いの最中に突然髪の毛が星に引かれて月の世界へ昇っていく、という筋である。

 炎の中にたけりたつおしゃべりな精霊は
 サラマンダーという名をとって昇り立つ。
 柔らかで形を変えやすい心はすべるように水へと去り、
 ニンフと共にその要素のお茶をすする。
 まじめすぎ、淑女ぶる女はノームのほうへと下降する、
 まだ地上に残るたわむれを探し求めながら。
 シルフになった軽い浮気女は空中を突き進み、
  空気の野原を遊び戯れ飛びまわる。

 サラマンダー(火の精霊)、ニンフ(水の精霊)、ノーム(地の精霊)、シルフ(空気の精霊)の四大精霊が、べリンダを守る精霊として描かれているが、それらの映像の上には、さらに、おしゃべりな女、心変りする女、おすましの女、浮気女、といった女性の映像が重ねられているようである。
 ポープは事件の当事者であるアラベラ・ファーモア夫人に宛てた手紙の中で、これらの四大精霊について説明しているが、(神性ディーティ)(天使エンジェル)(守護神デーモン)と呼び、さらに地、水、火、風に親しみ深い精霊が宿っており「ノームは地の守護精霊でいたずら好きであり、シルフは空中に住み、想像されたものの中でもっとも条件のそろった生き物」と言い、「薔薇十字(ローゼンクロイツ)の原理に沿った精霊たちである」
と説明している。この四大元素の精霊の名前は、もとは十六世紀にパラケルススが作った造語であるが、ただしニンフはウンディーネになっている。ポープもウンディーネを登場させているが、べリンダの守護精霊の一人とし、「優しき女性は死後水の精となる」と書いている。「情熱的な女は死後火の精になる」というように、美しい女性は死後それぞれの性質にふさわしい精霊になるとされているようである。この四大元素の精霊が、それぞれ妖精に似た属性を与えられており、サラマンダーは「火の玉(ウイル・オ・ザ・ウイスプ)」、シルフは「飛ぶ妖精」、ニンフは「水の妖精」、ノームは「土の妖精」に相当させられている。
 べリンダの守護精霊の中でもっとも権威づけられているものはエアリエルであるが、シェイクスピアの『嵐(テンペsyト)』のプロスベロに仕える使い魔からポープがこの物語に連れ込んだようである。ポープの描くエアリエルは、「妖精」と「天使」との双方の性質を備えており、「夢魔(インキュパス)」的な憧質や「シルフ」と似通った「空気の精霊」の性質も備え、アフリカの「支配者」ということになっている。エアリエルが、べリンダの夢の中でミルトンの『失楽園』の中のサタンのように演説をする箇処があるが、そこにはさまざまな超自然の生きものが登場してくる。〈Sylphsシルフ〉〈Sylphidsシルフィード)(Faysフエ)〉〈Fairies(フェアリー)〉〈Genii(ジェニ)〉〈Elves(エルフ)〈Demons(デーモン)〉などであり、このほか月の女神「ダイアナ」や「シンシア」、復讐の女神「フユーリー」、戦いの神「マース」、商業の神「ヘルメス」、海神「ネプチューン」など、古典的な神々も多く登場する。

  月影でみえる幻のような妖精、
  銀の贈り物と緑の輪。

 ここで言う「銀の贈り物’「シルバートーク)」は、妖精たちが善行をした女中のためにバケツの中や靴の底に残す「妖精の銀貨(コイン)」で、緑の輪は野原にできる「妖精の輪(フェアリーリング)」である。こうした民間伝承の妖精の性質をポープが知っていたことがうかがえる。この物語で活躍するのは精霊たちであるが、彼らはべリンダの守護妖精としてプロスベロの命令で働く使い魔エアリエルのように、人間に仕えて働くにとどまっている。

『妖精の系譜』 新書館



nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。