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妖精の系譜 №33 [文芸美術の森]

十七世紀の妖精詩

     妖精美術館館長  井村君江

舞台に活躍する妖精たち

 「どうぞ神様たち、私をお護りください、妖精や夜の悪魔から」という『シンベリン』のイモージェンの言葉にまだその名残りをとどめている、それまで人々に恐ろしがられていた不気味な存在の妖精たちに、人間に親しみのある穏和な性質と小さい容姿とを与えて舞台にのせたのは、シェイクスピアである。また、ロバート・グリーンやベン・ジョンソン、ジョン・リリーなどエリザベス朝時代の劇作家たちもそれぞれ特色ある妖精たちを舞台に活躍させた。なかでもシェイクスピアのオベロン、ティタニア、パックたちの活躍する『夏の夜の夢』は一五九四年から九五年にかけて上演され、「一六〇〇年に四つ折版の形でほとんど同時に異なった所から二冊世に出たが、十七世紀に至るまで、ずっとシェイクスピアのもっとも人気のある喜劇であった」と、フロリス・ドラットルも指摘している。この劇によって舞台の上から妖精たちは、平土間の二戦民衆の観客の中へ浸透していき、新しい映像となって再び人々の中に広く建っていくのである。
  次の時代以後に、劇作家や詩人たちが慈雨bン地震の想像力に会うように、妖精や妖精振興を作品の主題として取り上げていくのも、この『夏の夜の夢』の妖精像たちであった。もちろんシェイクスピア自身もフェアリー信仰の中からだけ妖精たちを生かしてきたわけではなく、また『夏の夜の夢』に登場する極小の妖精たちだけを描いたのではない。『夏の夜の夢』以後の妖精像の中には、民間伝承とは異なる要素が入っていることが辿れるのである。例えばエアリエルは空気の精(シルフ)であり魔術師プロスベロの使い魔(フェアリーエール)であって、その系統はフォークロアよりは、四大元素の考え方、宇宙の構成要素である地・水・火・風をもとにした四大精霊のひとつ、空気の精霊の系列に属しているといえる。
 シェイクスピアの初期から晩年にかけての戯曲における妖精像の変化としてここで注意すべきは、『夏の夜の夢』の妖精たちが概して昆虫の映像を重ねられているのに対し、エアリエルが小鳥のように翼を持っている映像が、かなりはっきりと台詞の中からうかがえることである。例えばエアリエルは主人であるプロスベロの命令を遂行すると答え、次のように言っている。「空を飛び、水を泳ぎ、火にとびこみ、巻き毛の雲をあやつって…」 (第一幕二場)。またプロスベロはエアリエルを「勇ましい精霊(スピリット)よ」(第一幕一場)、「怪鳥バービー役、よくやった」(第三幕三場)、「よくやった、私の小鳥よ」 (第四幕一場)、「私のエアリエル、ひよこよ」(第五幕一場)というように、空を飛び翼ある小鳥として扱っているのである。
 当時、舞台装置家であったイニゴ・ジョーンズは、イタリアで学んだのちイギリスに帰りジェイムズ一世の王妃アンのお抱え建築家となり、ベン・ジョンソンの仮面劇(マスク)をその機械仕掛けのからくり舞台によって華やかに演出していた。遠近画法の背景、額縁舞台、舞台前の幕の使用、そして装置の機械化によってもう一つの現実、いわば魔術空間が舞台に現出できていたことは、エリザベス朝演劇の上で画期的な出来事であった。 
 一六一〇~一一年のクリスマスの祝祭に、ベン・ジョンソンの仮面劇『妖精王オベロン』が上演されているが、イニゴ・ジョーンズ考案による装置が用いられている。デヴォンシャー・コレクションの中に現存する素描を見ると、岩の上にドームと小塔のついた城がそびえており、「しばらくすると岩の扉が開いて妖精の王の壮麗な宮殿が現われる」とある。ここでフランシス・イエイツが著書『世界劇場』の中で行なっている興味深い指摘によれば、仮面劇『妖精王オベロン』は、一六一〇年に行われた劇『ヘンリー王子の馬上試合』とつながりを持っていて、どちらも馬上槍試合と騎士道を主題としている。そこで、両作品ともアーサー王の宮廷カーリオンの建物を描写したモンマスのジェフリーの文章からヒントを得て作ったといわれている。『妖精王オベロン』の主題は、アーサー王からジェイムズ二世までの理想的支配者を、オベロン王が祝福するもので、装置制作の際にアーサー王を思い描くことはあり得ることであるが、仮面劇『妖精王オベロン』の宮殿が「古代イギリス騎士道時代のアーサー王の建築の真実と想像された」のは興味深いことである。

『妖精の系譜』新書館



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