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妖精の系譜 №30 [文芸美術の森]

『嵐(テンペスト)』のエアリエル

       妖精美術館館長  井村君江

 『嵐』(一六一一)は『夏の夜の夢』と並んで、妖精が登場するもう一つの劇である。けれどもこの二つにおける妖精の扱いには大きな違いがある。『夏の夜の夢』では、先に述べたとおり妖精が主役を演じ筋の展開にも大きな役割を果たすのに対して、『嵐』における妖精は非常に魅力的ではあるがあくまで脇役にすぎない。また『夏の夜の夢』がシェイクスピア初期の純然たる喜劇であるのに対して、『嵐』の方は最晩年の、喜劇とはいっても浪漫劇と呼ばれるものであって、おのずから登場人物の性格も異なり、妖精についてもそれは例外ではない。
 この戯曲の妖精は、今までに述べた民間伝承やロマンスだけでなくキリスト教の伝承を背景に持っている。この点については、サミュエル・ジョンソンが『嵐』につけた註(一七六五)がよく説明してくれる。

  プロスベロの人物と行動を理解する為には、中世紀の伝奇的な物語にその驚異的な要素を凡て提供している妖術の体系に就て、或る程度の知識を持っていることが必要である。此の体系は、天国を追われて悪魔になった天使達には罪の軽重があって、天国から退去させられた後にはその為に異った場所を住処として与えられ、或るものは地獄に幽閉され、又シェイクスピアの時代に一般に行われていた説を述べているフッカアによれば、或るものは空に、或るものは地上に、或るものは水中に、又或るものは巌窟や、洞穴や、地下の鉱物の中に散って行ったのであるという考え方に基いて組織されていたらしい。これらの魔物の中では或るものは他のものよりも兇悪で多くの害をなした。例えば地上に住む妖精は最も堕落していて、空中のが最も汚濁を免れていると考えられていたようである。それ故にプロスベロはエアリエルに就て言う。
 -お前は彼女の泥臭い、忌わしい命令に従うには、あまりにも優雅な妖精だった。
(吉田健一訳)

 このジョンソン博士が例として挙げている「泥臭い」という言葉は、原文では<earthy>であって、空気の精であるエアリエルとは相容れないという含みがある。この作品の中で妖精が主役を演じないのは、彼らがみなプロスベロに隷属する妖精で、自由勝手な行動ができないからである。いちばん表立った妖精であるエアリエルにしても、魔法の杖で呼び出されて命令通り動くだけで、オベロンはおろか、その家来のパックほどの自由も持っていない。エアリエルは生まれつきか弱い繊細な妖精であったので、プロスベロに退治されるまでこの話の舞台である島を支配していた魔女シコラックスの命令に従わず、松の幹の中に十二年の間閉じこめられて呻いていたのである。この長い苦境から彼を救い出してくれたのが、魔術師で、海の中の孤島、魔法の島の岩屋に住み、本来ならばナポリ王であるはすのプロスベロであった。このためエアリエルはプロスベロの召使い、その魔法の杖で呼び出され、命令を忠実に遂行する「使い魔(フェアリーエール)」になっているので、自分の意志で勝手にいたずらをしたり、他のものに化けて人間をおどしたりはしない。
 これは当時信じられていたことの一つで、妖精は一定期間(『嵐』では十六年になっている)魔術師に隷属し、そのいわば服役期を終えたところで解放されるのであり、それゆえエアリエルはプロスベロに年限を一年縮めて早く自由の身にしてくれと頼むのである。魔術師の使い魔に関しては、レジナルド・スコットが書いているルリグンがその代表で、この他には、ミコールやエラビー・ガーゼンがあり、また、魔法の使い魔としては猫や猿がなることが多い。このような魔法使い、あるいは魔法の鍵を持っている人間に従属する魔物というのは『アラジンと魔法のランプ』のランプの精や、『ファウスト』のメフィストフェレスなど意外に多いが、それが妖精であるのは珍しい。『嵐』のおそらくは失われた材源のひとつと同じものを、ドイツ語に翻案したと推定されているドイツ人ヤーコプ・アイラーの脚本『美わしのジデア』の中でも、主人公ルードルフが妖術使いであって、呪文で魔物を呼び出すくだりがあるが、その名がルンシファルとなっている。またト書きに「悪魔」とあるところから、これは当時の劇で極く常套的に登場した悪魔役が演じたものと思われる。これを「女のように優美な」妖精に仕立てあげたのはシェイクスピアの独創だといえよう。
 エアリエルは「空気に他ならぬお前」とか、「薄い空気の中に溶けていった精霊」という言葉、そして「きゃしゃな精霊」という呼称や、最後には「要素の中に自由になれ」という言葉でプロスベロが呼んでいるように、大気の精、空気の精霊としての要素がつよい。
 四大元素「地・水・火・風」及び四つの体液「黒胆汁・粘液・血液・黄胆汁」を考え、人間の性質感情などもこれらの要素の比重によって起こるとするスコラ哲学の思想と、四大元素を精霊として具象化した十六世紀初頭の哲学者パラケルススの考え方、すなわちノーム(地霊)、ウンディーネ(水)、サラマンダー(火)、シルフ(風)の精霊をもとに、風及び空気の精霊を、シェイクスピアがエアリエルと名づけたと推定される。エアリエルの名は<Airy>(空気の、優美な)、<Aerial>(空気の、大気の空中に住む)の語の連想もあるが、聖書の『イザヤ書』では「エアリエル」は、「エルサレム」(神の炉床)の意で用いられており、天上の都として讃えられている。またトリメシウスが『ステガノグラフィア』の中で、二十八人の惑星の天使の名のひとつとして用いているところからシェイクスピアが思いついたとする説もあるが、いずれも地上よりも天上に近い天使に似た精霊の存在として、エアリエルは考えられている。
 ともあれシェイクスピアのエアリエルは天使ではなく、単なる空気の精でもなく、古来いわれる四大元素、火と空気と水と土のうち、火と空気に深く関わる精霊に近い妖精だということができよう。これはこの作品に登場するもう一人の超自然的な生きものキャリバンが、土と水に緑があることと対照的である。トリンキュロに「人間か魚か?」と言われる妙な獣のキャリバンは、「人食い人種」から由来したと言われ妖精ではないが、エアリエルは妖精である。これはこれまでに述べたようなキリスト教の影響を大きく受けた俗信やカバラ的な世界観だけではなく、イギリスの民間伝承にあるような妖精の性格を、シェイクスピアがエアリエルに多く与えているからである。例えばエアリエルはこう歌う(第五幕一場)。

  蜂とならんで蜜を吸い
  寝床にするのは桜草
  ふくろうの歌が子守歌
  蠣幅に乗って空を飛び
  楽しい夏のあとを追う
  枝から垂れた花々の下
  愉快に遊んで暮らすのき

 ティタこアの侍女たちが蠣幅や蜘妹などをしりぞけるのに対して、エアリエルが蠣幅を使っているのは、彼自身の資質というよりもプロスベロの魔術に関係させたものであろう。
エアリエルは空気の精のため身が軽く変幻自在、身を隠す術、変身の術も自在である。「サーバント」「スピリット」と主人に呼び出されると、「空を飛び、水にもぐり、火をくぐり、巻き毛の雲に乗り、どこへなりともご命令のあり次第」、自在に大気中を飛んで命令を遂行する。優美で繊細な容姿と、陽気で音楽好き、いたずらや悪ふざけが好きな性格を持ち、姿を消したり、変身したりする能力を備えた空気の精のようなエアリエルは、繊細すぎて魔女シコラックスの命令通りには働けず、松の木の幹に閉じこめられていたのである。

『妖精の系譜』 新書館



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